古の事かとよ。



都に隠れなき丹後の少将殿とて時めける人あり。



器量骨柄人に勝れ、詩歌管絃何につけても暗からず、御年二十に余り給へども、御台所ましまさず、都広しと申せども、御心に入りにし方なくして、遠国波涛まで御尋ね候へども、未だ何れとも定まり難し。



爰に五條の宰相殿の御娘御二人おはします、姉御は御年十六になり給ひしが、其の頃世に類なき美人にて坐す。



母上に後れさせ給ひて、継母御にかゝりて坐す。



又其の妹十四にならせ給ひしは、後腹の御子なり、是れも美人にてましませども、姉御には劣り給ふと聞えし。



姉御をば野もせの姫、妹を紫蘭の姫とぞ申しける。



丹後の少将殿は、兄弟の姫君の事聞き及び給ひ、只一目見たきと思召し、姉野もせ姫の乳母、靫負の局の方へ、縁を尋ねて、内証仰せ遣はさる。



又妹紫蘭姫の乳母紫竹の局の方へも、内証仰せ遣はされ、一目御覧ありたきとの御事なり。



靫負の局は、少将殿よりの内証申し来りしを、継母御に申すも如何あらむ、父御に申すべきやと思案し居たり。



又妹の乳母は内証申し来りし事、母御に申し開かせ候へば、母御は悦びて申させ給ふやう、「丹後の少将殿と申すは器量世に勝れ、諸芸達し、時めく人なり、是は思ひの儘なる壻殿なれば、急ぎ見せ参らすべし、清水詣でに擬へて見せ参らせむ由申しつがひ候へ。」とて則ち乳母方より少将殿へ其の通り申し遣はしけり。



靫負の局は之を聞き、軈て父御へ申しければ、父宰相殿仰せられけるは、娘を見するといふ事如何なり、何れも物詣での時分知らせ申すべき由、其の方が心得の由にて、申し遣はすべきとの御ことにて、則ち申し遣はしけり。



さて丹後の少将殿は、彼の姫君達の清水詣でを今や遅しと待ち給ふ。



斯くて弥生十八日の事なりしに、宰相殿の北の方御娘御二人召し具し、御輿十挺許り遣り続けさゞめかいて清水詣でありけり。



丹後の少将毀は此の由を聞召し、女の姿に出立ちて、先に立ちて参り給ひ、観音の御前の傍に、輿を立てさせて彼の人々を待ち給ふ処に、宰相殿の北の方御輿より下り給へば、次に野もせ姫御輿より出で給ふを見たまへば、桜重の上に萌黄の袿、紅の袴踏みしだき、中門より歩み給ふ御姿、御髪は袿に等しく御顔容の美しさ、目元口付、姿いとらうたく言ふも愚かなり。



広き都の其の内に斯程の美人は、遂に目馴れたる事もなきと思召し、少将は是れをこそと思はれけれ。



又其次に妹の紫蘭の姫御輿より下り給ふ見給へば、花山吹の上に、薄紅梅の袿、紅の袴踏みしだき、是れも顔容姿美しさ類少なき装ひなり。



然れども姉には劣たると少将殿に思召されけり。



扠少将殿はそれより御下向あれば、姫君達も軈て御下向ありけり。



二人の乳母面々に思ふ様は、今日の美人比べには、何れが勝り何れが劣りたるならんと、少将殿よりの便りを聞かまほしくぞ思ひける。



去る程に少将殿は、野もせ姫を迎へむとて、先づ御母上に此の事申させ給へば、母上は聞召し、「五条の宰相殿の姫は、事の仔細あれば叶ふまじき由。」仰せられけり。



少将殿は此の由聞召し、「さて是は如何すべきぞや、たつて申せば不孝なり、また此の姫の外浮世に迎へむと思ふ人なし。」とて深く思ひに伏し沈み給ひけり。



かかりける処に、少将殿の乳母に正木の局申すやう、「御心地は何と坐すぞ、野もせ姫の御事に於ては、自ら叶へて参らせむ、急いで御文を遣はされ。」とぞ申しける。



少将殿は此の由聞召し、御枕をあけさせたまひ、「嬉しくも申すものかな、さらば文を参らせむ。」とて、紅の薄様に引重ねてかくなむ。



清水の
そこにて君を
ゆめばかり
見しおもかげの
色はわすれじ
きよみづの
そこにてきみを
ゆめばかり
みしおもかげの
いろはわすれじ


花ならぬ
人に心の
うつろひて
なにはの蘆の
ほのめかすらむ
はなならぬ
ひとにこころの
うつろひて
なにはのあしの
ほのめかすらむ


斯様に書き給ひて、乳母の正木に遣はされければ、正木御玉章をもちて、五條の宰州殿へ参り、靫負の局に見参申したき由申しければ、折節妹の乳母と紫竹の局あり合ひて、「何方よりの御使ぞ。」と問へば、「丹後の少将殿より参り候、この玉章を野もせ姫へ参らせて給べ。」と申す。



「暫く御待ち候へ。」とて、野もせ姫へは参らせすして、御台所へ此の由かくと申しければ、御台所は此の文をそと開きて見給ひ、扠は清水にての美人比べに負けたりとて、乳母も共に安からず思へども力及ばぬ次第なり。



御台所宣ふは、「先づ其の使を此方へ召せ。」とて中の庭へ呼び寄せられ、使に御台所申されけるは、「あの野もせ姫は、腰より下に大瘡出で来候て、時々死に入り給ふなり、顔許りこそ人にて侯へ、同じくは紫蘭の姫を仰せ懐けさせ給へ、形は野もせ姫には勝りて候。」と申されければ、此の使申すやう、「さて浅ましき事にて候ものかな、其の由をこそ申し候はめ。」とて帰りければ、袖を控へて、「よき様に御申し候はば、祝ひを申すべし。」と申されければ、「いかで、私にては申すべき。」とて使は帰りて少将殿へ此の由申し上げければ、少将殿宣ひけるは、「紫蘭の姫へ相馴れて、其の日の中に十善の位には即くといふとも、宿縁無ければ叶ふべからず、野もせ姫だに相馴れば、如何なる山の奥、野干の住む野の末なりとも、諸共に住むべけれ、早々行きて思ふ人の返事を取りて来るべし。」と宣へば、使重ねて来り、野もせ姫の乳母靫負の局に、彼の玉章を参らせければ、靫負の局は、野もせ姫に此の由斯くと申して、玉章を参らせければ、野もせ姫乳母に仰せけるは、「扠是れは何とかあらむ。」と宣へば、乳母申すやう、「此のほどの美人比べに勝たせ給ふことのめでたさよ、御兄弟とは申しながら、継母の御事なれば、常々憎ませ給へば、妾如きの者まで腹の立つ事のみにておはせしに、少将殿への縁の道、思ひの儘なる御事なり、はやく御返事あれ。」とぞ申しける。



やがて姫君返し、



「わが袖はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらね乾くまもなし



古言ながら御返事申しまゐらせ候。」と書きて、送らせ給ひけり。



使返事を取りて、少将殿へ参らせければ、少将殿斜ならず思召し、開きて御覧ずれば、古き歌あり、其の心はわが恋は知る人もなし、又思ふ人にも言ひも出さず打語るべき友もなし、沖の石なる程に、人こそ知らね心の中は乾くまもなく、此方にも思ふなりとの心なり。



少将殿此の歌を御覧じて、「先づ/\美しき筆のすさぴかな、又斯様に相思ひなる事かな。」とて愈浅からず思召し折々忍び/\に通ひ給ひて、少将殿よき折柄に母上に申し候ひて、内へ入れ奉るべきとの誓ひを立てさせ給ひ、深く契りをこめ給ふ。



斯かりし処に継母御前此の事聞き給ひ、紫蘭の姫を差置き、野もせ姫に契りをこめ給ふ事の腹立ちさよと、胸を焦し給ひ、乳母の紫竹の局を召して宣ふは、「今夜野もせ姫を失はむと思ふなり、武失を召せ。」とぞ仰せける。



「承り候。」とて、武夫二人具して参りければ、御台宣ふ様、「如何に武夫共、言ふべき仔細有り叶へて得さすべきか。」と仰せければ、武夫承り、「是は今めかしき事を仰せ候者かな、仮令火の中水の底までも、御諚をいかで背き申すべき。」と申し上げければ、御台斜に思召し、「別の事にてはなし、野もせ姫を、深く人知れず失ひてくれよ。」と仰せければ、武夫申す様、「余所の御方にても候はばこそ、三代相伝の君を失ひ奉るべきや。」と申しければ、継母御前大きに怒り給ひ、「さればこそ、初めより言ひし時何事にても叶へ申すべき由申せし程に、頼もしく思ひて斯程の大事を言ひ出しつるに、時に当つて虚言を申しける。」と荒々と宣へば、彼等心苦しくて、「兎も角も御意次第にて候。」と申す。



その時継母斜に悦び、彼等に酒を羞め、砂金を取らせて賺し給ふ。



扠武夫申す様、「何として亡ひ申すべきぞ。」と申しければ、「今宵紫蘭の局に具せさせ、花園に出で月を眺めよと申すべし、其の時荒けなき様にてしどろに走り出で、中有に取つて行け。」とぞ仰せける。



月も早羊の歩みに暮れゆく、有明も東の山の端に出で殊更さやけし。



紫蘭の局は野もせ姫を勧め申し、いざや月を眺めむとて花園庭に出でければ、約束の如く件の武夫走り出で、丈なる御髪を粗悍なる手にて掴み、中有に取つてぞ失せにけり。



乳母の靫負の局、「是れは/\。」と言へども、早行方知らず成りにけり。



扠武夫は姫君を具して、近江の国勢多へ参り、既に橋の上より落し奉らむとせし時、野もせ姫仰せられけるは、「如何に武夫共、性あらば物を聞け、継母御に頼まれ、今自らを失はむ事、当座の依怙なり、邪なるにいはされて、咎なき自らが命を取らば、などか天罰逃るべき、又助くる事汝等が為に自らは主なれば、義を重んするに似たるべし、然らば天道の冥利に叶ふべきぞ、自ら命惜しくて斯く言ふには有らず、汝等が余り不得心なる者共なれば、人間の五常を言ひ聞かするなり、此の上は汝等が心に任せよ。」とて袂を顔に押当て、潸然とぞ泣き給ふ。



猛き武夫も此の道理を承り、涕を流して申す様、「実に〳〵誤り申したり、此の上は御命助け参らせむ、何方へも見えぬ国へ忍び候へ、都へ帰り継母御へは、勢多の橋へ沈め申したる由を申すべし。」とぞ言ひける。



姫君は夢の醒めたる心地して、夜もほの/゛\と明けぬれば、とある家に立寄り亭主を頼み、上に召したる小袖を脱ぎ給ひ、麻の狭衣上に召し更へ、綾菅笠にて顔隠し、召しも習はぬ草鞋はき、杖つき給ひ行方何処ともわかずして、よろ/\と歩み給ふは目も当てられぬ有様なり。



斯くて都には、野もせ姫の見えさせ給はぬ事は、天魔の業かとて、父宰相殿の御欺きは言ふも愚かなりけり。



継母も虚泣して歎き顔ぞし給ひける。



痛はしや野もせ姫は、勢多より東を指して下り給ひしが、習はせ給はぬ事なれば歩みかね給ひ、十町計り行きて、とある所に暫く休らひ給ひけり。



頃は葉月十日の事なれば、初鴈の鳴きて行きけるを御覧じて、斯くなむ、



かりがねは
しばしとまりて
旅の空
越路のかたを
物がたりせよ
3かりがねは
しばしとまりて
たびのそら
こえぢのかたを
ものがたりせよ


わが住みし
都へゆかば
かりがねよ
このありさまを
物がたりせよ
わがすみし
みやこへゆかば
かりがねよ
このありさまを
ものがたりせよ


斯様に打詠めておはしける処に、信濃の国より、熊野へ参りて下向申す尼君、三十人許り連れて通りけるが、此の野もせ姫を見参らせ、「如何なる人にてましましせば、只一人かかる路中におはしますやらむ。」と申せば、姫君泣く/\宣ふやう、「我は都の者にて候が、主の勘当を蒙りて候、何処とも知らず迷ひ出で露の命と消えむ程を待ち候。」と宣へば、尼君近く立寄りて見給へば、御年十五六ばかりにて、誠にいつくしき御顔容、色雪の肌、翡翠の髪ざしまで、三十二相の御容貌、類少き姫にてぞ候ひける。



尼君思ふやう、いかさま只人にてはよもあらじと、愛しさ限りなし。



さても如何なる人ぞ、試みばやと思ひて、



あはれなる
言の葉みれば
もろともに
たもとの露を
払ひこそせね
あはれなる
ことのはみれば
もろともに
たもとのつゆを
はらひこそせね


と有りければ、姫君もかくなむ、



露の身の
きえても失せで
斯かる世に
うき言の菓を
きくにつけても
つゆのみの
きえてもうせで
かかるよに
うきことの菓を
きくにつけても


斯様に口吟み給へば、尼君申しけるは、「さて何方へ心ざして行かせ給ふぞ。」と問へば、姫君、「何処ヘなりとも具しておはしませ。」と宣へば、是れこそ熊野の御利生なれとて、長持より綾の袴を取出して著せ参らせ、わが身は馬に乗り、我が乗りたる輿に乗せ参らせ下りけり。



さて姫君は、鏡の山を通り給ふ時かくなむ、



近江なる
かゞみの山は
くもらねど
恋しき人の
かげはうづみし
あふみなる
かゞみのやまは
くもらねど
こひしきひとの
かげはうづみし


近くなる
うみとほければ
都なる
人の姿は
いかでうつらむ
ちかくなる
うみとほければ
みやこなる
ひとのすがたは
いかでうつらむ


とうちすさみて、美濃の国府に宿り給へり。



風身に染み給ひければかくなむ、



旅の空
ふく浦風の
身にしみて
いとゞ都の
人ぞこひしき
たびのそら
ふくうらかぜの
みにしみて
いとどみやこの
ひとぞこひしき


又不破の関に著き給ひて、



秋の野に
虫のこゑ/゛\
さへづれば
心とまらぬ
不破の関かな
あきののに
むしのこゑごゑ
さへづれば
こころとまらぬ
ふはのせきかな


斯様に打詠め給ふほどに、信濃の伏屋に著き給ひて御覧ずれば、五間三間のしゆてんあり、七間そへどのに中門を造り添へ、総じて家の数は七軒造り竝べたり。



誠にきわうなる人百人許り出入しけり。



南面には池を掘り、鴛鴦、鴎、浮うだり。



池の汀には、柳、梅、桜、行来久しき姫小松、草花は、牡丹、芍薬、葵、撫子、桔梗、刈萱、女郎花、其の外花の数を調へ、四季の色を揃へたり。



裏に入りて見給へば、銀の金物したる脇息に、金の銚子、提子を竝べたり。



側には古今、万葉集、千載、源氏、伊勢物語、万の草紙を取り竝べ、又●、双六の盤に至るまで、見事は飽くまで多けれど、御心にも染まず、只都の事のみ思召すなり。



さて都には父宰相殿日数経るにつけて、愈姫君の事歎き堪へかね給ひて、花園に立出でおはしまし、色々の花は見つらむ、語れかし、わが思ひ子の行方聞かまほしさとて、かくなむ、



あだなりと
思ひし花の
咲きたちて
いかにこのみの
なりてゆくらむ
あだなりと
おもひしはなの
さきたちて
いかにこのみの
なりてゆくらむ


斯様に詠じ給ひて、南無十方三世の諸仏、願はくは野もせ姫が寿命安穏に守り給へと、天に仰ぎ地に伏し祈誓し給へば、継母御前は佗びたる気色にて、蓼を擂り目に塗り、俯伏に伏して、目顔腫らしてぞ偽り給ひける。



帝王も哀れと思召し、御幸ありては弔ひあり、誠に歎くは理なりとて、



おとにきく
言の葉だにも
哀れなり
まして身の上
さこそあるらめ
おとにきく
ことのはだにも
あはれれなり
ましてみのうへ
さこそあるらめ


と遊ばし、是れまでの御幸も姫ゆゑぞかしとて、



をしきぞよ
きのふけふまで
撫子の
花は夜風に
散らしこそすれ
をしきぞよ
きのふけふまで
なでしこの
はなはよかぜに
ちらしこそすれ


帝王仰せける様は、「斯程までさこそ思ふらむ、唯後世をよく/\弔へ。」とて、還御なり給ふ。



宰相殿は宣旨忝しとて、御弔ひの儀式にて、尊き僧を供養し、様々の御弔ひ目を驚かすばかりなり。



野もせ姫の祖父御三條殿を初めとして、一門の公卿達、御弔ひの座に連り給ひ、惆悵としたる御有様にて、悼みの歌など遊ばし給へる中に、彼の継母御前の目に蓼を擂りて塗り腫らし給へる目元は、何とやらむ変りたれば、人々皆顔を不審さよと言はぬばかりに見ぬ人は無かりけり。



御弔ひも過ぎぬれば、父御は所詮自害をやせむ、又発心をやせむと、思召すこそ哀れなりける次第なれ。