さる程に丹後の少将殿は、野もせ姫の事を聞召して、憧れ悲しみ給ふ事限りなし。
せめての事に姫君の常におはせし所に入らせ給ひて、琴弾き鳴らしかくなむ、
ひきならす
琴の音きけば
もろともに
たもとの露を
はらひこそせね
ひきならす
ことのおときけば
もろともに
たもとのつゆを
はらひこそせね
ますかゞみ
曇りはてなば
いかにして
迷ふ心の
やみを晴らさむ
ますかがみ
くもりはてなば
いかにして
まよふこころの
やみをはらさむ
斯様に口吟み給ひて、誠に、心凄げにおはしければ、継母思召すやうは、男女の契り、何れ劣るべきならねば、自らが姫を参らせばやと思ひ、人して申されけるは、「野もせ姫に離れ給ひて、さこそ思召し候はむ、又紫蘭の姫を召し置かれ候へ。」と申されければ、中々聞きも敢へず、「恐ろしの女や。」とて、御返事もなし。
少将殿思召すは、妻の野もせ姫、まだ浮世にあるやらむ、又露とも消えて亡せ給ふらむ、祈誓をせばやと思召し、住吉に参り七日籠り給ひ、南無住吉大明神、願はくば夫妻の野もせ姫の行方知らせて給べと、五度の頭地に投げて祈り給へば、七日に満ずる暁方の御夢想に、神敕有りけるやう、
君がこふ
人はこれより
国遠く
あづまの方を
たづねても見よ
きみがこふ
ひとはこれより
くにとほく
あづまのかたを
たづねてもみよ
あづまには
いく国々の
あるものを
恋をするがか
いかにしなのか
あづまには
いくくにぐにの
あるものを
こひをするがか
いかにしなのか
斯様に御返しをしつると思召しつるうちに、御夢醒めて、さては此の姫未だ世にあるやと嬉しく思召して、愈祈誓し給ひて、都へ帰り、御所を密かに只一人忍び出で、清水の辺にて、山伏に出で立たせ給ひ、摺の直垂を召し、御髪を乱し、兜巾被き給ひ、坂東方へ赴き給ふ。
逢坂の
関にも心
とめられず
あはれ恋路の
いそがしの身や
あふさかの
せきにもこころ
とめられず
あはれこひぢの
いそがしのみや
去る程に姫君は、信濃の伏屋にて月日を送り、都の御事恋しさ限りなく、父宰相殿、未の少将殿の事のみ、思ひ出して、なき言葉に打怨みさせ給ふ。
空掻曇り時雨して
峯の木枯しけしくて
梢寂しくなりはてて
錦と見えし紅葉ばも
思ひの中に散り失せて
訪ふ人も無き悲しさに
思ひ続けて清水の
流れて澄まぬ物ゆゑに
逢坂越えて近江なる
海の底にも捨てられて
憂き目を独り見るぞ憂き
大津の浦の怨みねに
甲斐もなくして
東路の
不破の関にも
留まらで
落つる涙と
諸共に
流れ来りて
信濃なる
独り伏屋に
旅寝して
都の方を
遥々と
思ひやるこそ
悲しけれ
なみに夜昼
身に添ひて
哀れと言ひし
たらちをの
果無く我を
失ひて
如何に心を
つくし船
漕がれ行くらむ
笹蟹の
糸縒り難き
事故に
今宵の契り
深くこそ
常に契りて
来し人の
無き面影も
忘られず
心ひとつに
焦れ居て
遣る方も無き
池水に
汀に遊ぶ
鴛鴦の
うきねに鳴きて
いたづらに
杉の板間の
明け来れば
思ひ乱れて
白糸の
くる人更に
渚なる
水の中なる
濁りあひ
淀むことなき
身の物憂さよ
此の世にまだあるを知らせ給はず、父宰相殿、姫君の御孝養をなされ、百日に当る時、六万本の卒堵婆を立て、五郎の大乗経を供養し、様々の御弔ひ有りしなり。
さて少将殿は大津の浜にて、舟の便りを尋ねたまふ処に、翁の舟さして来りたるに、召されてかくなむ、
乗りて行く
舟とおもひの
あはれこそ
水の上には
こがれ行くらむ
のりてゆく
ふねとおもひの
あはれこそ
みづのうへには
こがれゆくらむ
さて日暮れぬれば、丹より上り給ふ時、翁申すやう、「今夜は尉が家に御泊り候へ。」と申しければ、少将殿嬉しく思召して、御泊りあり、七間造りの家に請じ、金の杯、銀の銚子取出し、酌取には十七八ばかりの女房飽くまで気高く出立ちて少格殿に酒すゝめけり。
夜も明けければ翁申すやう、「御尋ねの御方は東にとこそ承りて候へ、何処を指しておはしますぞ。」と申す。
「何処を指すとも無けれども、只出家の習ひにて候へば諸国を志し候。」と言へば、又翁、「如何様只ならぬ御心にて遠き旅人と見えさせ給ふ。」と申せば、少将殿いと恥かしく思召し給ふ。
翁重ねて申す様、「御身は正しく恋路に迷ひ給ふと覚えたり。
尉も若く候ひし時恋をして、十年の間身を徒らになして候ひしほどに、恋せむずる人をば、如何なる天竺震旦までも、行きて訪はばやと思ふなり。
これより東は津軽の涯、蝦夷が島、南は南海、補陀落山、西は鬼界高麗、けいたん国までも、北は越路外の浜まで、此の国々を御尋ね候とも、御供申さむ。」と申せば、小将殿翁を礼し、嬉しさ限りなし。
わが思ふ
人やきたりし
この程に
せんの松原
さきに尋ねて
わがおもふ
ひとやきたりし
このほどに
せんのまつはら
さきにたづねて
年をへて
路のほとりの
おいたれば
人もこずゑの
たれを松原
としをへて
ぢのほとりの
おいたれば
ひともこずゑの
たれをまつはら
さて其の後柏野にとまり給ひ、明くればせきとにて少将殿、
たづねゆく
人には逢はで
このほどに
心とゞめよ
美濃のせきもり
たづねゆく
ひとにはあはで
このほどに
こころとゞめよ
みののせきもり
恋路には
とゞむる人も
なきものを
逢はむと思ふ
心のみして
こひぢには
とゞむるひとも
なきものを
あはむとおもふ
こころのみして
さて尾張の国に著き給へば、雪降りて冷かりしに、少将殿かくなむ、
をはりなる
熱田の宮も
雪ふれば
水もこほりて
つめたかりける
をはりなる
あつたのみやも
ゆきふれば
みづもこほりて
つめたかりける
夏こそは
あつたともいへ
冬くれば
水も凍りて
さむくなりけり
なつこそは
あつたともいへ
ふゆくれば
みづもこごりて
さむくなりけり
さてそれより、遠江の国橋本に著き給ひ、宿の体を御覧ずれば、東に入江の魚の寄るを待ち、南は南海遥かにて、海人の小舟竝べり。
北は琴弾き鳴らす松立てる中には、宿々の遊君のあれば、軒を竝べて面白や。
おきつ波
つゞみ打ちよる
はしもとに
琴ひきそふる
峯のまつかぜ
おきつなみ
つづみうちよる
はしもとに
ことひきそふる
みねのまつかぜ
波のおと
峯の松風
身にしみて
心のとまる
はしもとのやど
なみのおと
みねのまつかぜ
みにしみて
こころのとまる
はしもとのやど
住吉の夢を頼みて尋ぬれど、逢坂山に逢ひ見ねば、いとゞ心の炭竈の、焦るゝ夜半の寂しきに、君もや来るを白糸の、夜も打ち解け給はねば、乱れくる夜の近江なる、伊香の海のいかなれば、罪の報いに我許り、みるめもなくて何時となく、恋をのみして塩竃の、澄までも底に見えずして、斯かる思ひを駿河なる、あさましかりし宿りして、心は空に憧れて、袖は涙に濡れながら、胸は燃えつゝ焦るれば、伺時とも知らぬ恋をして、過ぐる我が身もみの尾張、何と鳴海の浦々を、尋ね行けども甲斐ぞなき。
恋と見る目のかたければ、慰むことも渚なる、岸の岩根をなきてのみ、波の夜昼汀にて、都の方を遥々と、思ひ遣るより遠江、浜名の浦に引く網の、迷はざりせば斯くばかり、憂き言の菓も露の身も、何にかゝりて君がつる、おもひ鳴尾の今は只、甲斐も波間の事なれや、こゝに忘れて信濃なる、只更科と思へども、逢はねば鹿の音をぞ鳴くと、斯様に吟み給へば、翁もかくなむ、
恋路には
いかでか袖の
ぬれざらむ
かばかり物は
思はざらまし
こひぢには
いかでかそでの
ぬれざらむ
かばかりものは
おもはざらまし
見そめても
通ひそめずば
かくばかり
欺かじものを
さよの中山
みそめても
かよひそめずば
かくばかり
あざむかじものを
さよのなかやま
あをやぎの
糸うちとけて
寝られねば
思ひ乱れて
ねをのみぞなく
あをやぎの
いとうちとけて
ねられねば
おもひみだれて
ねをのみぞなく
みわたせば
よもの梢も
みどりにて
あばれぞまさる
宇津の山みち
みわたせば
よものこずゑも
みどりにて
あばれぞまさる
うつのやまみち
空晴れて
さやけき月を
ながむれば
心の関も
はれてこそゆけ
そらはれて
さやけきつきを
ながむれば
こころのせきも
はれてこそゆけ
さて其の夜の夢に、姫君紫裏の白き単衣に、紅の袴ふみしだき、花園に立出でたまひて、心凄げにて、
都にて
こひしき春は
きたれども
われに見馴れし
花人ぞなき
みやこにて
こひしきはるは
きたれども
われにみなれし
はなひとぞなき
恋しさに
逢ふうれしさも
えぞ知らぬ
おつる涙に
こゑのむせびて
こひしさに
あふうれしさも
えぞしらぬ
おつるなみだに
こゑのむせびて
あし引の
山がくれして
訪ふ人も
なきぞ悲しき
ひとりふせやに
あしひの
やまがくれして
とふひとも
なきぞかなしき
ひとりふせやに
あふと見る
夢うれしくて
さめぬれば
逢はぬうつゝの
うらめしきかな
あふとみる
ゆめうれしくて
さめぬれば
あはぬうつつの
うらめしきかな
年をへむ
逢ひみぬ恋を
するがなる
富士のたかねを
なきとほるかな
としをへむ
あひみぬこひを
するがなる
ふじのたかねを
なきとほるかな
さて斯様に尋ね来り給ふとは、姫君知らせ給はず、都の事を思ひて、花の一本、鳥の音までも、都に変らざりければ、かくなむ、
鳥のねも
花も霞も
かはらねば
春やみやこの
かたちなりける
とりのねも
はなもかすみも
かはらねば
はるやみやこの
かたちなりける
さる程に姫君微睡み給ふ夜の夢に、母御前此の世の姿にて、「さのみな焦れ給ひそよ、今三日が内に悦び給ふ事あり、自ら九夏三伏の夏の花は涼しき風となり、玄冬素雪の夕には風吹く方の垣となり、暗き道には燈火となり影身に添ひて悲しむなり。
余り汝が事を深く悲しみ候へば執心の罪深かるべし、後世をば弔ひ候へ。
なでしこの
花をば常に
来てぞ見る
あさぢが原の
草のかげより
なでしこの
はなをばつねに
きてぞみる
あさぢがはらの
くさのかげより
なでしこの
花をば常に
いさゝめて
などはゝさきに
散りてゆくらむ
なでしこの
はなをばつねに
いささめて
などははさきに
ちりてゆくらむ
なき人の
姿をゆめに
見えつれば
さむるうつゝの
うらめしきかな
なきひとの
すがたをゆめに
みえつれば
さむるうつつの
うらめしきかな
さて少将殿、塩屋なる海小舟に召され、照澤の方を御覧じて、
こひのみち
暗きをなげく
我なれや
てるさは水に
心すまさむ
こひのみち
くらきをなげく
われなれや
てるさはみづに
こころすまさむ
恋の路
いかゞはさのみ
暮すらむ
相見てのちは
いとゞてるさは
こひのみち
いかがはさのみ
くらすらむ
あひみてのちは
いとどてるさは
斯様に打詠じ急がせ給ふに、信濃の伏屋に著き給ひて、翁宣ふやう、「此の程君が恋ひ悲しみ、遥々尋ね給ふ人は此の伏屋に坐し候ぞ、此の翁をば如何なる者と思ふぞ、我はこれ日本の弓矢の守護神、住吉の明神なり、我昔凡夫なりし時恋をして身を焦したる故に、神と現はれ、津の国難波の浦に跡を垂れ、恋する人をば斯く憐みを運ぶ故に、是れまで具して来りたり、汝独りに限るべからず、汝が尋ぬる人はあの棟高き内にましますぞ。」と宣へば、其方見遣る間に掻消す様に失せ給ふ。
住吉の
神ともさらに
知らずして
目なれけるこそ
はかなかりけれ
すみよしの
かみともさらに
しらずして
めなれけるこそ
はかなかりけれ
さて大明神の教への儘に、棟角高き内へ入りて御覧じければ、姫君は夢にもしめらで、都の事を思召して、
夏びきの
糸ほどだにも
とふ人の
なき悲しみを
いかゞ忘れむ
なつびきの
いとほどだにも
とふひとの
なきかなしみを
いかがわすれむ
と打吟み給へば、少将殿は姫君の御声と聞き給ひて、胸打騒ぎ、嬉しき事限りなし。
なつびきの
いとあはれなる
恋をして
われこそ来ては
訪はむとはする
なつびきの
いとあはれなる
こひをして
われこそきては
とはむとはする
と詠じ給へば、姫君是はそも夢現とも覚えぬものかなと、胸打騒ぎかくなむ、
あやしさよ
わが聞きなしか
都にて
こちくと見えし
笛のねかとよ
あやしさよ
わがききなしか
みやこにて
こちくとみえし
ふゑのねかとよ
都にて
こちくと見えし
笛のねを
泣く〳〵吹きて
尋ねきにけり
みやこにて
こちくとみえし
ふゑのねを
なくなくふきて
たづねきにけり
と宣へば、姫君さては誠の夫にてましますぞや、有り難き事かなと思ひ、尼君に此の由申させ給へば、やがて尼君忌垣の隙より見給へば、御二十余りなる山伏、誠に気高く優しげに見え給ひて、「いかなる公卿殿上人にて渡らせ給ふぞ、只今の笛の音怪しく思ひ奉る、もし姫君の馴染み給ふ人にて候やと見参らせ候なり。」と宣へば、姫君誠に恥かしげにて、「哀れに立たせ給ふ。
客僧此方ヘ入らせ給へ。」と宣へば、「恥かしく候へども、君を恋ひ是れまで尋ね参りたり。」さてあるべきに有らざれば、御内へ入らせ給ひぬ。
さて洗足参らせ、やがて烏帽子、直垂取出し、御装束参らせ、御休み給ひける。
都をば
いつから衣
たちそめて
冬にかゝりて
きたるなりけり
みやこをば
いつからころも
たちそめて
ふゆにかゝりて
きたるなりけり
都をば
もみぢの錦
きてしかど
日かずつもりて
冬ごろもきむ
みやこをば
もみぢのにしき
きてしかど
ひかずつもりて
ふゆごろもきむ
山伏の
ころもを見るに
いかなれば
泣きて来れば
袖はぬれけり
やまふしの
ころもをみるに
いかなれば
なきてくれば
そではぬれけり
二人の人々も夢の心地にて、互に物も宣はず、涙に咽びたまひて、少将殿かくなむ、
あはざらむ
時こそあらめ
逢ひ見ては
何の思ひに
袖ぬらすらむ
あはざらむ
ときこそあらめ
あひみては
なにのおもひに
そでぬらすらむ
ことわりや
いかでか袖の
ぬれざらむ
逢はぬひごろを
思ひつゞけて
ことわりや
いかでかそでの
ぬれざらむ
あはぬひごろを
おもひつゞけて
さて伏屋に四五日おはしければ、信濃の国の主は是れを聞き、少将殿へ参り、斎き傅き奉り、程なく上洛ましませば、三千人を召し連れ、少将殿の御供申されけり。
又姫君の御供の女房達下婢に至るまで、御輿三十挺舁き続けて夥しく坐す。
少将殿宣ふ様は、「尼君、斯かる田舎におはして何かせさせ給はむ、都へ御供申さむ。」とて、姫君の御輿等しく用意し、尼君を乗せ参らせて都へ連れ上り給ふ。
少将殿斯様の次第を奏聞申されければ、「哀れなる事かな、さ程心深く信濃の伏屋まで尋ね行きける不便さよ、此の程の思ひを慰め給へ。」とて、丹波の国にて三郡、元の本領に添へて下し給ひぬ。
かの不得心なる継母御前を、失はれむと有りしかば、野もせ姫宣ふは、「仇をば恩にて報ずる習ひあり。」とて、様々帝王へも宰相殿へも、御詫言あり。
此の上は姫次第なりとて、御宥しありければ、野もせ姫より継母御前へ扶持し、辺近き処に置かせたまふぞ有り難き。
さて少将殿は御悦びの為に、姫君を相具し、住吉へ参り給ひて、百日御籠りあり、御宝殿作り参らせて、御下向ありけり。
それより悦びかさなり、若君を二人、姫君一人出で来させ給ひ、行末繁昌し給ひけり。
彼の継母御前は年一年もましまさず、自害して失せ給ふ。
これは情なく当り給ふによつて、その天罰遁れずして、我と空しくなり給ひ、名を聞くだにも悲しさよと、人に疎まれ、亡き後までも悪しき名を残し給ふ。
又彼の尼君の事帝聞召されて、則ち本国信濃の内、所領を賜はりけり。
此の物語を見む人は、能く/\心得分け、只慈悲情を掛け給ふペきなり/\。