また、男、忍びて知れる人ありけり。
また、男、忍びて知れる人ありけり。


人しげき所なれば、夜も明けぬ先に、「人の静まれる折に」とて、帰り出でたるに、まだ暗きほどなれば、「いかで帰らむ」と思へど、いとかたかりければ、門の前に渡したる橋の上に立ちて、言ひ入る。
人しげき所なれば、夜も明けぬ先に、「人の静まれる折に」とて、帰り出でたるに、まだ暗きほどなれば、「いかで帰らむ」と思へど、いとかたかりければ、かどの前に渡したる橋の上に立ちて、言ひ入る。


夜半に出でて
渡りぞかぬる
涙川
淵とながれて
深く見ゆれば
よはにいでて
わたりぞかぬる
なみだがは
ふちとながれて
ふかくみゆれば


と言ひ入れたれば、女も寝でぞ起きたりける。
と言ひ入れたれば、女もでぞ起きたりける。


返し。
返し。


小夜中に
遅れてわぶる
涙こそ
君が渡りの
淵となるらめ
さよなかに
おくれてわぶる
なみだこそ
きみがわたりの
ふちとなるらめ


男、「いとあはれ」と思ひて、
男、「いとあはれ」と思ひて、


「また、もの言ひ入れむ」と思へど、
「また、もの言ひ入れむ」と思へど、


大路に人などありければ、たてらで*帰りにけり。
大路に人などありければ、たてらで*帰りにけり。

* 影印「ら」字見えず。