また、この男、聞きわたる人なりけれど、ことに「もの言はむ」とも思えざりける女なれど、知る人のありければ、文時々とり伝へなどしけるをば、
また、この男、聞きわたる人なりけれど、ことに「もの言はむ」とも思えざりける女なれど、知る人のありければ、ふみ時々とり伝へなどしけるをば、


「頼もし人」とぞ付けたりける。
「頼もし人」とぞ付けたりける。


それに、「はや、たばかれ」などぞ責めける。
それに、「はや、たばかれ」などぞ責めける。


「今宵、もし、月おもしろくば、来しかし。たばかり見つべくは」と言ひたれば、
「今宵、もし、月おもしろくば、来しかし。たばかり見つべくは」と言ひたれば、


「何の良きこと」と来にけり。
「何の良きこと」と来にけり。


さて、かの頼もし人に、消息言ひたるに、呼び入れて、「月見よ」など言ひて呼び出だしたり。
さて、かの頼もし人に、消息せうそこ言ひたるに、呼び入れて、「月見よ」など言ひて呼び出だしたり。


さて、もろともに、もの一言二言言ひて、頼もし人は、ふと這ひ入りにけり。
さて、もろともに、もの一言二言言ひて、頼もし人は、ふと這ひ入りにけり。


されば、この心ざし言ふ女、「われも入りなむ」と言ふ気色のあれば、
されば、この心ざし言ふ女、「われも入りなむ」と言ふ気色のあれば、


「あな恨めし。誰ゆゑに頼もし人ぞ」と、言ひ恨みければ、
「あな恨めし。たれゆゑに頼もし人ぞ」と、言ひ恨みければ、


「よし、さらば入らじ。つとめて、この頼もし人の、とく入りにたるやうに、とがなう言ひおこせよ」と、女言ひけり。
「よし、さらば入らじ。つとめて、この頼もし人の、とく入りにたるやうに、とがなう言ひおこせよ」と、女言ひけり。


さりければ、
さりければ、


長き夜を
頼め頼めて
有明の
心づきなく
隠れしやなぞ
ながきよを
たのめたのめて
ありあけの
こころづきなく
かくれしやなぞ


と言ひたれば、頼もし人、
と言ひたれば、頼もし人、


いかでかは
光の二つ
身に添はむ
月には君を
みかへてぞ寝し
いかでかは
ひかりのふたつ
みにそはむ
つきにはきみを
みかへてぞねし

* 影印に「む(ん)」字見えず。
光りにし
光添はずは
月も日も
並ぶたとひに
言はずぞあらまし
ひかりにし
ひかりそはずは
つきもひも
ならぶたとひに
いはずぞあらまし


など言ふほどに、「親、聞き付けて、いみじう言ふめれば、えたばかるまじ」と言へるやうは、親にはあらで、先立ちて思ふ男ぞありけるを、ことづけて言ふなりけり。
など言ふほどに、「親、聞き付けて、いみじう言ふめれば、えたばかるまじ」と言へるやうは、親にはあらで、先立さいたちて思ふ男ぞありけるを、ことづけて言ふなりけり。


男、また言ひける。
男、また言ひける。


東屋の
織るしづはたの
おさをあらみ
間遠に会ふぞ
わびしかりける
あつまやの
おるしづはたの
おさをあらみ
まとほにあふぞ
わびしかりける


かう言へど、この「もとの人あり」と聞きて、この今の人、また言ふ。
かう言へど、この「もとの人あり」と聞きて、この今の人、また言ふ。


心もて
君が織るてふ
しづはたの
会ふ間遠きを
誰にわぶるぞ
こころもて
きみがおるてふ
しづはたの
あふまとほきを
たれにわぶるぞ


さて、「なほ、行かむ」とあれど、また、え会はでやみにけるに、もと来し男も来ずなりにければ、女がのちの男に言ひやる。
さて、「なほ、行かむ」とあれど、また、え会はでやみにけるに、もと来し男も来ずなりにければ、女がのちの男に言ひやる。


言の葉の
上の緑に
はかられて
竹のよなよな
空し寝やする
ことのはの
うゑのみどりに
はかられて
たけのよなよな
むなしねやする


と「『はかられにけり*』といとほしうて、この文にあること、いとあやし。暮れに必ず」と言ひたれば、
と「『はかられにけり*』といとほしうて、このふみにあること、いとあやし。暮れに必ず」と言ひたれば、

* 底本「はかられにけにけり」。「けに」を衍字とみて削除。
男、かの頼もし人にも、「かかりけり」と言ひたれば、その暮れに来にけり。
男、かの頼もし人にも、「かかりけり」と言ひたれば、その暮れに来にけり。


さて、ものなと言ひて、頼もし人、
さて、ものなと言ひて、頼もし人、


「この男を、いとあやしき者に聞きしかど、見るにはさしもあらざりけり」とて、頼もし人、男に言ふ。
「この男を、いとあやしき者に聞きしかど、見るにはさしもあらざりけり」とて、頼もし人、男に言ふ。


川よきに
堰きとどめたる
水上の
見るまにまにも
勝る君かな
かはよきに
せきとどめたる
みなかみの
みるまにまにも
まさるきみかな


返し、
返し、


水上の
思ひ勝らむ
川よきて
わが田に絶えじ
堰きてとどめむ
みなかみの
おもひまさらむ
かはよきて
わがたにたえじ
せきてとどめむ


それに、人まじりて、琴などをかしう弾きて、ものをかしう言ふ人ありけり。
それに、人まじりて、琴などをかしう弾きて、ものをかしう言ふ人ありけり。


男、なほしもあらで、「この琴弾くは誰ぞ」と頼もし人に問ひければ、
男、なほしもあらで、「この琴弾くは誰ぞ」と頼もし人に問ひければ、


「ここに通はるる御親族などぞ」と言へば、
「ここに通はるる御親族みしぞくなどぞ」と言へば、


それにこの男、「いかでか」と思ふ心付きにけり。
それにこの男、「いかでか」と思ふ心付きにけり。


さて、このもとよりの人の聞くに、え気色ばみては言はで、
さて、このもとよりの人の聞くに、え気色ばみては言はで、


「おのが身は、いと口惜しく、妹も無ければ、この琴弾き給ふは、妹背山にやは頼み給はぬ」と、
「おのが身は、いと口惜しく、いもうとも無ければ、この琴弾き給ふは、妹背山いもせやまにやは頼み給はぬ」と、


男言へば、琴弾く女、「われも兄無きわびをなむするよ。せむかし」と言へば、
男言へば、琴弾く女、「われもせうと無きわびをなむするよ。せむかし」と言へば、


集まりて言ひすさびて、夜明けにければ、帰りにけり。
集まりて言ひすさびて、夜明けにければ、帰りにけり。


朝に文どもやるとて、
あしたに文どもやるとて、


崩れずな
妹背の山の
山菅の
根絶えばかかる
草ともぞなる
くづれずな
いもせのやまの
やますげの
ねたえばかかる
くさともぞなる


返し、
返し、


山菅は
思ひやまずのみ
茂れども
何か妹背の
山は崩れむ
やますげは
おもひやまずのみ
しげれども
なにかいもせの
やまはくづれむ


かく言ひつつ、さて、「いかで、ありしやうなることをぞよき」と言へど、
かく言ひつつ、さて、「いかで、ありしやうなることをぞよき」と言へど、


「ここにて、いかが思はむ。今、ほかにて」とぞ、言ひ交しける。
「ここにて、いかが思はむ。今、ほかにて」とぞ、言ひ交しける。


男、言ひやる。
男、言ひやる。


巌にも
身をなしてしが
年経ても
乙女が撫でむ
袖をだに見む
いはほにも
みをなしてしが
としへても
をとめがなでむ
そでをだにみむ


返し、
返し、


天つ袖
撫づる千歳の
巌にも
久しきものと
わが思はなくに
あまつそで
なづるちとせの
いはほにも
ひさしきものと
わがおもはなくに


と言へりけれど、「この人に付きて、いと忍びて、ものし給へ」と言へば、来たり。
と言へりけれど、「この人に付きて、いと忍びて、ものし給へ」と言へば、来たり。


呼び入れて人にも知られで、あひ語らひける。
呼び入れて人にも知られで、あひ語らひける。