近ごろ天王寺に聖ありけり。


天王寺. 四天王寺
言葉の末ごとに「瑠璃」といふ二つの文字を加へて言ひければ、やがて、字を名に付けて「瑠璃」とぞいひける。



その姿、布のつづり、紙衣なんどの、いふばかりなく、ゆゆしげに破れはらめきたるを、いくらともなく着ぶくれて、布袋の汚なげなるに、乞ひ集めたる物を一つに取り入れて、歩き歩きこれを食らふ。
その姿、布のつづり、紙衣なんどの、いふばかりなく、ゆゆしげに破れはらめきたるを、いくらともなく着ぶくれて、布袋ぬのぶくろの汚なげなるに、乞ひ集めたる物を一つに取り入れて、ありき歩きこれを食らふ。


童、いくらともなく笑ひあなづれど、さらにとがめ、腹立つことなし。
わらうべ、いくらともなく笑ひあなづれど、さらにとがめ、腹立つことなし。


いたくせたむる時は、袋より物を取り出だして取らすれば、童、汚ながりて、これを取らず。



捨つれば、また取つて入れつつ、常には様々のすずろごとをうち言ひて、ひたすら物狂ひにてなむありける。



さして、「そこに跡とめたり」と見ゆる所なし。



垣根・木の下・築地にしたがひて、夜を明かす。
垣根かきのね・木の下・築地ついぢにしたがひて、夜を明かす。


そのころ、大塚といふ所に、やんごとなき智者ありけり。



ある時、「雨の降りて、まかり寄るべき所もなければ、この縁の片端に候はん」と言ひければ、例ならず、あやしう思えながら置きつ。
ある時、「雨の降りて、まかり寄るべき所もなければ、この縁の片端かたはしに候はん」と言ひければ、例ならず、あやしう思えながら置きつ。


夜更けて、聖が言ふやう、「かく、たまたま参り寄りて侍り。年ごろ、おぼつかなく思ひ給へることども、はるけ侍らばや」と言ふ。



ことのほかに思ゆれど、世の常の人のやうに、あひしらうほどに、やうやう、天台宗の法門どもの、えもいはぬ理ども尋ねつ。
ことのほかに思ゆれど、世の常の人のやうに、あひしらうほどに、やうやう、天台宗の法門どもの、えもいはぬことはりども尋ねつ。


また、主、あさましく、めづらかに思えて、夜もすがら寝ず。
また、あるじ、あさましく、めづらかに思えて、夜もすがら寝ず。


さまざまに問ひ答へて、明けぬれば、「今はいとま申し侍らむ」とて、「心にいぶかしく思ひ給へることどもを、賢く今宵候ひて、はるけ侍りぬ」とて、去ぬ。



また、このこと、ありがたく貴く思えけるままに、そのあたりの人どもに語りたりければ、そしり、いやしめし心を改めて、かたへは権者の疑ひをなして、尊みけり。



されど、その有様は、さきざきにつゆ変らかはらず、「さることや、ありける」と人の問ふ時には、うち笑ひて、そそろごとにぞ言ひなしける。



かやうに、人に知られぬることを、うるさくや思ひけん、はてには行方も知らせずなりにけり。
かやうに、人に知られぬることを、うるさくや思ひけん、はてには行方ゆきかたも知らせずなりにけり。


年経て、人、語りけるは、和泉国に乞食し歩きけるが、終りには、人も来寄らぬ所の、大きなる木のもとに、下枝に仏掛け奉りて、西に向ひて、合掌して、居ながら眼を閉ぢてなむありける。
年経て、人、語りけるは、和泉国に乞食しありきけるが、終りには、人も来寄らぬ所の、大きなる木のもとに、下枝したえだに仏掛け奉りて、西に向ひて、合掌して、居ながら眼を閉ぢてなむありける。


その時は、知れる人もなくて、後に見付けたりけるなり。



また、近ごろ、世に「仏みやう」といふ乞食ありけり。



それも、かの聖のごとく、物狂ひのやうにて、食物は魚・鳥をも嫌はず。
それも、かの聖のごとく、物狂ひのやうにて、食物しょくもつは魚・鳥をも嫌はず。


着物は筵・薦をさへ重ね着つつ、人の姿にもあらず、会ふ人ごとに必ず、「あま人・法師・をとこ人・女人等清浄」と言ひ拝むわざをしければ、それを名に付けてなむ、見と見る人、皆、「つたなく、ゆゆしき者」とのみ思ひけれど、げには、やうありける者にや、阿証房といふ聖を得意にして、思ひがけぬ経論なんどを借りて、人にも知らせず、懐に引き入れて、持ちて行きて、日ごろ経てなむ返すことを、常になんしける。
着物はむしろこもをさへ重ね着つつ、人の姿にもあらず、会ふ人ごとに必ず、「あま人・法師・をとこ人・女人等清浄」と言ひ拝むわざをしければ、それを名に付けてなむ、見と見る人、皆、「つたなく、ゆゆしき者」とのみ思ひけれど、げには、やうありける者にや、阿証房といふ聖を得意にして、思ひがけぬ経論なんどを借りて、人にも知らせず、ふところに引き入れて、持ちて行きて、日ごろ経てなむ返すことを、常になんしける。


つひに切提の上に、西に向ひて、合掌端座して終りにけり。
つひに切提せつたいの上に、西に向ひて、合掌端座して終りにけり。


これらは、すぐれたる後世者の一の有様なり。
これらは、すぐれたる後世者のいちの有様なり。


「大隠、朝市にあり」と言へる、すなはちこれなり。



かくいふ心は、賢き人の世を背く習ひ、わが身は市の中にあれども、その徳をよく隠して、人にもらせぬなり。



山林に交はり、跡を暗うするは、人の中にあつて、徳をえ隠さぬ人の振舞ひなるべし。