高野のほとりに、年ごろ行ふ聖ありけり。


底本「辺」に「ホトリ」と読み仮名。なお、標題は「ヘン」。
もとは、伊勢国の人なりけり。



おのづから、かしこに居付けたりけるなり。



行徳あるのみならず、人の帰依にて、いと貧しくもあらざりければ、弟子なんどもあまたありける。



年やうやうたけてのち、ことに相頼みたる弟子を呼びて、言ひけるやう、「『聞こえばや』と思ふことの、日ごとはんべるを、その心の内はばかりて、ためらひ侍りつるぞ。あなかしこ、あなかしこ、たがへ給ふな」と言ふ。



「何事なりとも、のたまはんこと、いかでたがへ侍らむ。また、へだて給ふべからず。すみやかに承らむ」と言へば、「かく人を頼みたるさまにて過ぐす身は、さやうの振舞ひ思ひ寄るべきことならねども、年高くなり行くままに、傍らもさびしく、ことにふれてたつきなく思ゆれば、『さもあらむ人を語らひて、夜のとぎにせばや』となむ思ひたるなり。それにとりて、いたう年若からん人は悪しかりなん。ものの思ひやりあらん人を、忍びやかに尋ねて、わがとぎにせさせ給へ。さて、世の中のことをば、それにゆづり申さむ。ただ、わがありつるやうに、この坊の主にて、人の祈りなんどをも沙汰して、われをば奥の屋に据ゑて、二人が食ひ物ばかりを、形のやうにして、送り給へ。さやうになりなむのちは、そこの心の内もはづかしかるべければ、対面なんどもえすまじ。いはんや、そのほかの人には、すべて、世にあるものとも知るべからず。死に失せたる物の様にて、わづかに命つぐべくばかり沙汰し給へ。これをたがへ給はざらむばかりぞ、年ごろの本意なるべし」と、かきくどきつつ言ふ。
「何事なりとも、のたまはんこと、いかでたがへ侍らむ。また、へだて給ふべからず。すみやかに承らむ」と言へば、「かく人を頼みたるさまにて過ぐす身は、さやうの振舞ひ思ひ寄るべきことならねども、年高くなり行くままに、傍らもさびしく、ことにふれてたつきなく思ゆれば、『さもあらむ人を語らひて、夜のとぎにせばや』となむ思ひたるなり。それにとりて、いたう年若からん人は悪しかりなん。ものの思ひやりあらん人を、忍びやかに尋ねて、わがとぎにせさせ給へ。さて、世の中のことをば、それにゆづり申さむ。ただ、わがありつるやうに、この坊のぬしにて、人の祈りなんどをも沙汰して、われをば奥の屋に据ゑて、二人ににんが食ひ物ばかりを、形のやうにして、送り給へ。さやうになりなむのちは、そこの心の内もはづかしかるべければ、対面たいめんなんどもえすまじ。いはんや、そのほかの人には、すべて、世にあるものとも知るべからず。死に失せたる物の様にて、わづかに命つぐべくばかり沙汰し給へ。これをたがへ給はざらむばかりぞ、年ごろの本意ほんいなるべし」と、かきくどきつつ言ふ。


あさましく、思はずに思えながら、「かやうに心置かず語らはする、本意に侍り。急ぎ尋ね侍らむ」と言ひて、近く遠く聞き歩きけるほどに、男におくれたりける人の、年四十ばかりなるありけるを聞き出でて、ねんごろに語らひて、便りよきやうに沙汰し据ゑつ。
あさましく、思はずに思えながら、「かやうに心置かず語らはする、本意に侍り。急ぎ尋ね侍らむ」と言ひて、近く遠く聞きあるきけるほどに、男におくれたりける人の、年四十ばかりなるありけるを聞き出でて、ねんごろに語らひて、便りよきやうに沙汰し据ゑつ。


人も通さず、われも行くこともなくて、過ぎけり。



おぼつかなくも、また、物言ひあわせまほしくもあれど、さしも契りしことなれば、いぶせながら過ぐるほどに、六年経てのち、この女人、うち泣きて、「この暁、終り給ひぬ」とて、来たる。



驚きて、行きて見れば、持仏堂の内に、仏の御手に五色の糸掛けて、それを手にひかへて、脇息にうち寄りかかりて、念仏しける手も、ちとも変らず、数珠のひきかけられたるも、ただ生きたる人の眠りたるやうにて、つゆも例にたがはず。
驚きて、行きて見れば、持仏堂の内に、仏の御手に五色の糸掛けて、それを手にひかへて、脇息けふそくにうち寄りかかりて、念仏しける手も、ちとも変らず、数珠ずずのひきかけられたるも、ただ生きたる人のねぶりたるやうにて、つゆも例にたがはず。

脇息. 底本「脇足」
壇には、行ひの具、うるはしく置き、鈴の中に紙を押し入れたりける。
壇には、行ひの具、うるはしく置き、れいの中に紙を押し入れたりける。


いと悲しくて、ことの有様を細かに問へば、女の言ふやう、「年ごろ、かくて侍りつれども、例の妻夫の様なることなし。夜は畳を並べて、われも人も、目覚めたる時は、生死の厭はしきやう、浄土願ふべきやうなんどをのみ、こまごまと教へつつ、よしなきことをば言はず、昼は阿弥陀の行法、三度こと欠くことなくて、ひまひまには念仏をみづからも申す。また、われにも勧め給ひて、始めつ方、二月三月までは心を置きて、『かく世の常ならぬありさまをば、わびしくは思ふ。さらば、心にまかすべし。もし、うときことになるとも、かやうに縁を結ぶも、さるべきことなり。このありさまを、ゆめゆめ人に語るな。もしまた、互ひに善知識とも思ひて、後世までの勤めをもしづかにせむとならば、乞ひ願ふところなり」と、のたまひしかば、『さらさら御心置き給ふべかず。年ごろあひ具したりし人をはかなく見なして、いかでか、その後世をもとぶらはざらん。われもまた、かかる憂き世にめぐり来じと願ひ、厭ふ心は侍りしかど、さても、一日たちめぐるべき様もなき身にて、本意ならぬ方にて見奉れば、なべての女のやうに思すにや。ゆめゆめ、しかにはあらず。『いみじき善知識』と、人知れず喜びてこそ、過ぎ侍へりし」と申ししかば、『返す返す嬉しきこと』とて、今隠れ給へることも、かねて知つて、終らむ時、『人にな告げそ』とありしかば、『かく』とも申さず」とぞ言ひける。
いと悲しくて、ことの有様を細かに問へば、女の言ふやう、「年ごろ、かくて侍りつれども、例の妻夫めをとこの様なることなし。夜は畳を並べて、われも人も、目覚めたる時は、生死の厭はしきやう、浄土願ふべきやうなんどをのみ、こまごまと教へつつ、よしなきことをば言はず、昼は阿弥陀の行法、三度こと欠くことなくて、ひまひまには念仏をみづからも申す。また、われにも勧め給ひて、始めつ方、二月三月ふたつきみつきまでは心を置きて、『かく世の常ならぬありさまをば、わびしくは思ふ。さらば、心にまかすべし。もし、うときことになるとも、かやうに縁を結ぶも、さるべきことなり。このありさまを、ゆめゆめ人に語るな。もしまた、互ひに善知識とも思ひて、後世までの勤めをもしづかにせむとならば、乞ひ願ふところなり」と、のたまひしかば、『さらさら御心置き給ふべかず。年ごろあひ具したりし人をはかなく見なして、いかでか、その後世をもとぶらはざらん。われもまた、かかる憂き世にめぐりじと願ひ、厭ふ心は侍りしかど、さても、一日たちめぐるべき様もなき身にて、本意ならぬ方にて見奉れば、なべての女のやうに思すにや。ゆめゆめ、しかにはあらず。『いみじき善知識』と、人知れず喜びてこそ、過ぎ侍へりし」と申ししかば、『返す返す嬉しきこと』とて、今隠れ給へることも、かねて知つて、終らむ時、『人にな告げそ』とありしかば、『かく』とも申さず」とぞ言ひける。