昔、玄賓僧都、いみじう貴き人なれば、高きも賤しきも、仏のごとく思へりける中に、大納言なる人なん、年ごろことにあひ頼み給ひたりける。


玄賓僧都. 第一第1話 玄敏僧都、遁世逐電の事の玄敏に同じ。
かかる間に、僧都、そこはかとなく悩みて、日ごろになりぬ。



大納言、おぼつかなさのあまりに、みづから渡り給ひて、「さても、いかなる御心地にか」なんど、細やかにとぶらひ給ふを、「近く寄り給へ。申し侍らん」とあれば、あやしくて、さし寄り給へるに、忍びて聞こゆ。



「まことには、ことなる病にも侍らず。一日、殿の御もとへ詣でたりしに、北の方の形、いとめでたくて見え給へりしを、ほのかに見奉りて後、もの思えず心まどひ胸ふたがりて、いかにもものの言はれ侍らぬなり。このこと、申すにつけてはばかりあれど、深く頼み奉りて久しくなりぬ。いかでかは隔て奉らんと思てなん」と聞こゆ。



大納言、驚きて、「さらば、などかはとくはのたまはざりし。いと安きことなり。すみやかに御悩みをやめてん。渡り給へ。いかにも、のたまはんままに、便りよくはからひ侍らん」とて、帰り給ぬ。



うへに、「かく」と聞こえ給ふに、「さらなり。なのめに仰せられんやは。いとあさましく心憂けれど、かくねんごろに思しはからふことなれば、いなび給はじ」。


「いなび給はじ」は底本「イナヒ給ン」。諸本により訂正。
その用意して、僧都のかなひせさせ給へるに、いとことうるはしく、法服正しくして来たり給へり。



あやしく、げにげにしからずは思ゆれど、間なんど立てて、さるやうなる方に入れ奉らせ給ふ。



上のうつくしう、とりつくろひて居給へるを、一時ばかり、つくつくとまぼりて、弾指をぞたびたびしける。
うへのうつくしう、とりつくろひて居給へるを、一時ばかり、つくつくとまぼりて、弾指をぞたびたびしける。


かくて、近く寄ることなくて、中門の廊に出でて、物をなんかづきて帰りにければ、主、いよいよ貴み給ふことかぎりなかりけり。



不浄を観じて、その執をひるがへすなるべし。



かくいふは、人の身の穢らはしきことを思ひとくなり。



もろもろの法、みな、仏の御教へなれど、聞き遠きことは、愚かなる心にはおこらず。



この観に至りては、目に見え、心に知れり。



悟りやすく、思ひやすし。



「もし、人のためにも愛着し、みづからも心あらん時は、必ずこの相を思ふべし」と言へり。



おほかた、人の身は、骨・肉のあやつり、朽ちたる家のごとし。
おほかた、人の身は、骨・ししのあやつり、朽ちたる家のごとし。


六腑五臓のありさま、毒蛇のわだかまるにことならず。



血は体をうるほし、筋、継ぎ目をひかへたり。



わづかに薄き皮一重、覆へるゆゑに、このもろもろの不浄を隠せり。



粉を施し、たき物を移せど、誰かは偽はれる飾りと知らざる。
おしろいを施し、たき物を移せど、誰かは偽はれる飾りと知らざる。


海に求め、山に得たる味ひも、一夜経ぬれば、ことごとく不浄となりぬ。
海に求め、山に得たるあじはひも、一夜経ぬれば、ことごとく不浄となりぬ。


いはば、描ける瓶に糞穢を入れ、腐りたる屍に錦をまとへるがごとし。
いはば、描けるかめに糞穢を入れ、腐りたるかばねに錦をまとへるがごとし。


もし、たとひ大海を傾けて洗ふとも、浄まるべからず。



もし、栴檀を焚きて匂はすとも、久しく香ばしからじ。



いはんや、魂去り、寿尽きぬる後は、むなしく塚のほとりに捨つべし。
いはんや、魂去り、寿いのち尽きぬる後は、むなしく塚のほとりに捨つべし。


身膨れ、腐り、乱れて、つひに白き屍となり、真の相を知るゆゑに、念々に是を厭ひ、「愚かなる者は、仮の色にふけりて、心をまどはすこと、たとへば、厠の中の虫の、糞穢を愛するがごとし」と言へり。
身膨れ、腐り、乱れて、つひに白きかばねとなり、まことの相を知るゆゑに、念々に是を厭ひ、「愚かなる者は、仮の色にふけりて、心をまどはすこと、たとへば、かうやの中の虫の、糞穢を愛するがごとし」と言へり。