中ごろ、但馬守国挙が子に、所の雑色国輔といふ人ありけり。
中ごろ、但馬守国挙くにたかが子に、所の雑色国輔といふ人ありけり。


ある宮腹の半者を思ひて。
ある宮腹の半者はしたものを思ひて。


志深かりけるころ、父の但馬守にて下りければ、えさらぬことにて、はるかに行きけり。



一日の絶え間だにわりなく思ゆるを、立ち別れては、耐へぬべくもあらねど、いかがはせむ。



さまざまに語らひ置きつつ、泣く泣く別れにけり。



国に下りても、これよりほかに、心にかくることなし。



京の便りごとに文をやれど、届かず。



さはりがちにて返り事も見ず。



いぶせくてのみ歳月を送る間に、ことの便りに人の語るを聞けば、「京には人多く病みて、世の中騒がしくなんある」と言ふにも、まづおぼつかなきことかぎりなし。



かくしつつ、からうして京へ上り給ひつ。



しかありし宮の中を尋ぬれば、「はや、例ならぬことありて、出で給ひにき」と言ふ。



使、むなしく帰りて、このよしを語るに、ふと胸ふたがりて、何のあやめも思えず。



立ち帰り、ゆくへ尋ねにやりたれど、知る人もなし。



すべき方なくて、心のあられぬままに、すずろに馬にうち乗りて、うち出でにけり。



「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ね歩くほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひし女の童立てり。
「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ねありくほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひしわらは立てり。


いとうれしくて、「もの言はん」と思ふほどに、隠るるやうにて、家の内へ逃げ入るを、馬より降りて、入りて、見れば、この女、うちそばみて、髪をけづりてなむ居たりける。



「あな、いみじくおはしけるは」とて、後ろを抱きて、日ごろのいぶせかりつることなむ、ねんごろに語らへど、いらへもせず、さめざめと泣くよりほかのことなし。



「われを恨むるなりけり」とあはれに、心苦しう思えて、涙を抑へつつ、さまざまになぐさめ居たり。



「さても、などかは後ろをのみ向け給へる。『いつしか、見奉らん』と思ふに、今さへいぶせく」とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらに面を向へず。
「さても、などかは後ろをのみ向け給へる。『いつしか、見奉らん』と思ふに、今さへいぶせく」とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらにおもてを向へず。


「あな、いみじ。心深くも思し入りたるかな」とて、しひて引き向くれば、二つの眼なし。



木の節の抜けたるごとくにて、すべて目も当てられず。



心まどひ、とばかりものも言はれぬを、念じて、「さても、いかなりしことぞ」と問ふ。



主は音をのみ泣きて、ともかくも言はねば、ありつる女の童なん、泣く泣くことのありしやうを語りける。
ぬしをのみ泣きて、ともかくも言はねば、ありつる女の童なん、泣く泣くことのありしやうを語りける。


「御下りの後、しばしは、『御文もなどかあるか』と人知れず待ち給ひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年過ぎにしかば、ものをのみ思して、明かし暮らし給ひし間に、御病付き給ひて、宮を出で給ひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所も侍らざりしかば、これにてあつかひ奉しほどに、はかなくて息絶えにき。『今は置き奉りてもかひなし』とて、この前の野に置き奉りしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返り給にし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりて侍れば、とかく申すはかりなし。わざとも尋ね奉るべきにてこそ侍りしかど、この御ありさまの心憂さに、『今はいかで世にあるものと、人に知られじ』と深く思したるもことはりなれば、『隠れ奉らん』とつかまつるなり」と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。
「御下りの後、しばしは、『御文もなどかあるか』と人知れず待ち給ひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年ひととせふたとせ過ぎにしかば、ものをのみ思して、明かし暮らし給ひし間に、御病付き給ひて、宮を出で給ひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所も侍らざりしかば、これにてあつかひ奉しほどに、はかなくて息絶えにき。『今は置き奉りてもかひなし』とて、この前の野に置き奉りしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返り給にし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりて侍れば、とかく申すはかりなし。わざとも尋ね奉るべきにてこそ侍りしかど、この御ありさまの心憂さに、『今はいかで世にあるものと、人に知られじ』と深く思したるもことはりなれば、『隠れ奉らん』とつかまつるなり」と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。


「何の報ひにて、かかる目を見るらん」と、「今はこの世の限りにこそありけれ」とて、やがて、これより比叡の山へ登り、甘露寺の教静僧都の房に、慶祚の弟子にて、真言の秘法を伝ふ。



唐房の法橋行因といふはこの人なり。


法橋行因. 行円が正しい
山王に会ひ奉りて、灌頂し奉りける人なり。



この人、初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲といふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」とて、人をつけやりてげり。
この人、初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲みづのみといふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」とて、人をつけやりてげり。


使、返り来て、「しかじか、甘露寺僧都のもとへ入りぬ」と言ひければ、「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者を、慈覚の門人になさで、智証の流へやりつる、口惜しきことなり」とのたまひける。


慈覚. 円仁
門人. 山門派を指す。
智証. 円珍
智証の流. 寺門派
この人、真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、「『男にては、物の真似をよくし給ひて、をかしき方に、人に興ぜられけり』と聞きつるなり。千秋万歳し給へ。見ん」と言はれければ、またこともなく、「うけ給はりぬ」とて、経の帙紙のありけるを、頭にうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨、涙を落して、「『さだめて、否びすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」とぞ、讃め給ひける。
この人、真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、「『男にては、物の真似をよくし給ひて、をかしき方に、人に興ぜられけり』と聞きつるなり。千秋万歳し給へ。見ん」と言はれければ、またこともなく、「うけ給はりぬ」とて、経の帙紙つつみがみのありけるを、かしらにうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨、涙を落して、「『さだめて、否びすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」とぞ、讃め給ひける。