「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ね歩くほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひし女の童立てり。
「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ね歩 くほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひし女 の童 立てり。
「さても、などかは後ろをのみ向け給へる。『いつしか、見奉らん』と思ふに、今さへいぶせく」とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらに面を向へず。
「さても、などかは後ろをのみ向け給へる。『いつしか、見奉らん』と思ふに、今さへいぶせく」とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらに面 を向へず。
「御下りの後、しばしは、『御文もなどかあるか』と人知れず待ち給ひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年過ぎにしかば、ものをのみ思して、明かし暮らし給ひし間に、御病付き給ひて、宮を出で給ひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所も侍らざりしかば、これにてあつかひ奉しほどに、はかなくて息絶えにき。『今は置き奉りてもかひなし』とて、この前の野に置き奉りしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返り給にし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりて侍れば、とかく申すはかりなし。わざとも尋ね奉るべきにてこそ侍りしかど、この御ありさまの心憂さに、『今はいかで世にあるものと、人に知られじ』と深く思したるもことはりなれば、『隠れ奉らん』とつかまつるなり」と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。
「御下りの後、しばしは、『御文もなどかあるか』と人知れず待ち給ひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年 過ぎにしかば、ものをのみ思して、明かし暮らし給ひし間に、御病付き給ひて、宮を出で給ひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所も侍らざりしかば、これにてあつかひ奉しほどに、はかなくて息絶えにき。『今は置き奉りてもかひなし』とて、この前の野に置き奉りしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返り給にし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりて侍れば、とかく申すはかりなし。わざとも尋ね奉るべきにてこそ侍りしかど、この御ありさまの心憂さに、『今はいかで世にあるものと、人に知られじ』と深く思したるもことはりなれば、『隠れ奉らん』とつかまつるなり」と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。
この人、初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲といふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」とて、人をつけやりてげり。
この人、初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲 といふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」とて、人をつけやりてげり。
使、返り来て、「しかじか、甘露寺僧都のもとへ入りぬ」と言ひければ、「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者を、慈覚の門人になさで、智証の流へやりつる、口惜しきことなり」とのたまひける。
慈覚. 円仁
門人. 山門派を指す。
智証. 円珍
智証の流. 寺門派
門人. 山門派を指す。
智証. 円珍
智証の流. 寺門派
この人、真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、「『男にては、物の真似をよくし給ひて、をかしき方に、人に興ぜられけり』と聞きつるなり。千秋万歳し給へ。見ん」と言はれければ、またこともなく、「うけ給はりぬ」とて、経の帙紙のありけるを、頭にうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨、涙を落して、「『さだめて、否びすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」とぞ、讃め給ひける。
この人、真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、「『男にては、物の真似をよくし給ひて、をかしき方に、人に興ぜられけり』と聞きつるなり。千秋万歳し給へ。見ん」と言はれければ、またこともなく、「うけ給はりぬ」とて、経の帙紙 のありけるを、頭 にうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨、涙を落して、「『さだめて、否びすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」とぞ、讃め給ひける。