始めは、礼のたびごとに、いささかも声立つることもなかりけるが、六七百夜になりては、「付き給へ、付き給へ」と忍びやかに言ひて、礼しければ、聞く人、「この僧は何事を祈り、『天狗付き給へ』と言ふか」なんど、かつは怪しみ、かつは笑ひけり。
さだまることにて、論義すべきほどの終りぬれば、饗を庭に投げ捨つれば、もろもろの乞食、方々に集りて、争ひ取りて食らふ習ひなるを、この宰相禅師、にはかに大衆の中より走り出でて、これを取つて食ふ。
宰相禅師. 増賀を指す。
そののち、貴き聞こえありて、時の后の宮の戒師に召しければ、なまじひに参りて、南殿の高欄のきわに寄りて、さまざまに見苦しきことどもを言ひかけて、むなしく出でぬ。
そののち、貴き聞こえありて、時の后 の宮の戒師に召しければ、なまじひに参りて、南殿の高欄 のきわに寄りて、さまざまに見苦しきことどもを言ひかけて、むなしく出でぬ。
また、「仏、供養せん」と言ふ人のもとへ行く間に、説法すべきやうなんど、道すがら案ずとて、「名利を思ふにこそ。魔縁便りを得てげり」とて、行き着くや遅き、そこはかとなきことをとがめて、施主といさかひて、供養をもとげすして帰りぬ。
乾鮭といふものを太刀にはきて、骨限なる女牛のあさましげなるに乗りて、「やかた口、つかまつらむ」とて、おもしろく折りまはりければ、見物の、怪しみ、驚かぬはなかりけり。
僧正も凡人ならねば、かの「我こそ、やかた口打ため」とのたまふ声の、僧正の耳には、「悲しきかな。わが師、悪道に入りなむとす」と聞こえければ、車の内にて、「これも利生のためなり」となむ、答へ給ひける。
僧正も凡人 ならねば、かの「我こそ、やかた口打ため」とのたまふ声の、僧正の耳には、「悲しきかな。わが師、悪道に入りなむとす」と聞こえければ、車の内にて、「これも利生のためなり」となむ、答へ給ひける。
この聖人、命終らんとしける時、まづ、碁盤を取り寄せて、独り碁を打ち、次に障泥を乞ふて、これをかづきて、小蝶といふ舞ひの真似をす。
この聖人、命終らんとしける時、まづ、碁盤を取り寄せて、独り碁を打ち、次に障泥 を乞ふて、これをかづきて、小蝶といふ舞ひの真似をす。
小蝶. 小蝶
経平. 橘恒平
慈恵僧正. 良源