一乗寺の僧正、かくれ給ひて後、そのはてのわざしける日、朝より、若き女房の壺装束したるが、涙抑へつつ、向ひわたりにたたずむありけり。


一乗寺の僧正. 増誉
人々、あやしう思ひて、ことまぎるる日なれば、わざと尋ね問ふ人なし。



すでに仏事始まりて後、この女房、人にまじりて聴聞す。



初めより終りまで、泣くことおこたらず。



その気色、世のつねのことにあらず。



目立たしきほどに見えければ、ある人「この女房のさまこそ心得ね。かやうに集まり見ゆるを、もし、悪しざまにとりなす人もあらば、亡き御かげにも見苦しかりぬべし。いさ、追ひ出ださん」と言ふ。



また、あるいは、「やうこそはあらめ。いかが説法の時泣くとて、追ひ出だすべき。情けなくあらん。そのゆゑを問ふべき」など、安からず言ひしらふほどに、わざ終りぬ。



聴聞の人ども、やうやう行きけるにも、この女房、いとど泣きまさりて、急ぎ出でんともせず。



返り見がちにて、立ちわづらふを見れば、年二十ばかりなり。



形などもいときよげなるを、化粧はみな涙に洗はれて、浅からず思ひ入りたるさまなり。



おぼつかなさのあまり、ある人、さし寄りて、そのゆゑを問ふ。



女の言ふやう、



「われは、故僧正御房の御あはれみを蒙りたる身にて侍るなり。隠し申すべきことにあらず。わが身、昔捨子にて、河原に侍りけるを、故御房の御歩きのついでに御覧じつけて、あはれみ給ひて、なにがしといひし大童子に仰せ付けられて、養ひ給ひしあひだ、ひとへに御いとほしみにて人となり侍るを、十三と申せし年、この養ひ親、夫妻ともに、同じ時に悪しき病をして、失せ侍りにしかば、思ふ方なくて、かれが親しき者のもとへ尋ねまかりて、おのづから迷ひ侍りしほどに、さるべきにや侍りけん、思ひかけぬゆかりにて、一年后の宮の御半者に参りて侍るなり。
「われは、故僧正御房の御あはれみをかうぶりたる身にて侍るなり。隠し申すべきことにあらず。わが身、昔捨子にて、河原に侍りけるを、故御房の御歩ありきのついでに御覧じつけて、あはれみ給ひて、なにがしといひし大童子に仰せ付けられて、養ひ給ひしあひだ、ひとへに御いとほしみにて人となり侍るを、十三と申せし年、この養ひ親、夫妻ともに、同じ時に悪しき病をして、失せ侍りにしかば、思ふ方なくて、かれが親しき者のもとへ尋ねまかりて、おのづから迷ひ侍りしほどに、さるべきにや侍りけん、思ひかけぬゆかりにて、一年ひととせきさいの宮の御半者おんはしたものに参りて侍るなり。


たかき御影に隠れて侍れば、わびしきことも侍らねど、父母、世にや侍らむ、知り給はず。



養ひ立てたりし親は、跡なくなりにき。



ただひとりうどにて、心細く、あはれなる身のありさまを思ふにも、またありがたく侍るなり。



『人の身の、はかなくてやみぬべかりけること』と思ひつづけ侍るにも、とにかくに故僧正御房の御あはれみのかたじけなさ、片時忘るるひまも侍らず。
『人の身の、はかなくてやみぬべかりけること』と思ひつづけ侍るにも、とにかくに故僧正御房の御あはれみのかたじけなさ、片時かたとき忘るるひまも侍らず。


朝ごとに鏡の影を見ても、『誰ゆゑ人となる身を』と思ふ折節、装束を給ひ、身にとりて面目あるやうなる折にも、いつも御方に迎へて、涙を落しつつ、ことにふれて、あはれに報じがたくなむ思ひ侍りし。


「いつも」は、底本「も」なし。諸本により補入。
されども、あやしくかたがた便りあやしきさまなれば、申しひらく方も侍ず。



すべて、無縁の御あはれみより発りしことを悦び申さんにつけても、さすがに侍り。
すべて、無縁の御あはれみよりおこりしことを悦び申さんにつけても、さすがに侍り。


『あはれ、わが身、男ならましかば、いかなる様にても、御あたりにこそはつかうまつらまし』と、かひなき女の身を恨みて、むなしく過ぎ侍りしかど、世におはしまししほどは、何となく頼もしく侍りき。



をのづから、宮仕へせし時より、よそながら拝み奉れば、いみじき悦びをしたるやうに思えて、それになぐさみつつまかり過ぎしを、『かくれ給へり』と承りしかば、世の中かきくらせる心地して、『かくして、ながらふべし』とも思え侍らず。


「かくれ」は底本「カクシ」。諸本により訂正。
『今日、御はて』と承りつれば、『また、いつかはこれほどに御名残を承らん。今は今日にこそ』と思ひて、宮仕へさしあふ日にて侍りつれど、障りを申してなむ、朝よりこの御あたりにたたずみ侍る。



今わざ終りてまかり出づるに、すべて涙にくれて、帰るべき道も思え侍らず」と言ひもやらず、よよと泣く。



これを聞く人、あやしみて、「追ひ出ださん」と言ひつる者まで、涙を流してあはれみけり。



もろもろのこと、めづらしく耳近きを先とする習ひなれば、何わざにつけても、さしあたりてきはやかなる恩など蒙れるをこそ悦ぶめれ。
もろもろのこと、めづらしく耳近きを先とする習ひなれば、何わざにつけても、さしあたりてきはやかなる恩などかうぶれるをこそ悦ぶめれ。


かやうにおほぞらなることを忘れず、心にかくることは、いとありがたかるべし。



誰々も、思ひ知る人も、年月積りゆけば、すなはちのやうにやはある。



されば、かの、村上の御門の御服を着て、一期つひに脱がでやみけんことなどをば、あはれにありがたきためしにこそは言ひ伝へ侍りぬれ。
されば、かの、村上の御門の御服ごふくを着て、一期つひに脱がでやみけんことなどをば、あはれにありがたきためしにこそは言ひ伝へ侍りぬれ。

村上の御門. 村上天皇
『十訓抄』5-2参照
しかあるを、はかなき女の心に、さしも尽きせず思ひしめたりけん情の深さ、なほたぐひなくぞ侍る。