恵心僧都の、そのかみ、「空也上人、見奉らん」とて、尋ね来給へることあり。


恵心僧都. 源信
年たけ、徳高うして、ただ人とも覚えず。



いと尊く見え給ひければ、後生のこと申し出だし、「極楽を願ふ心、深く侍り。往生はとげ侍りなむや」と尋ね給ひければ、「われは無智の者なり。いかで、さやうのことをことわり侍らん。ただし、智者の申し侍りしことを聞きて、これを案ずるに、などかは生ぜざらん。そのゆゑは、『人、六行観を修して、『上界の定を得ん』と思ふとき、下地は、麁なり、苦なり、障なり。上地は、静なり、妙なり、離なりといふことを信じて、下地のいやしきさまを厭ひ、上地の妙なることを願へば、その観念の力にて、次第にすすみて、悲想悲々想まで至るべし』と言へり。されば、西方の行人もまた同じことなり。智恵・行徳なくとも、穢土を厭ひ浄土を願ふ心ざし深くは、などか往生を遂げざらん」とのたまひければ、僧都、これを聞きて、「まことに理きはまり侍り」とて、涙を流し、掌を合はせて、帰し給ひにけり。
いとたつとく見え給ひければ、後生のこと申し出だし、「極楽を願ふ心、深く侍り。往生はとげ侍りなむや」と尋ね給ひければ、「われは無智の者なり。いかで、さやうのことをことわり侍らん。ただし、智者の申し侍りしことを聞きて、これを案ずるに、などかは生ぜざらん。そのゆゑは、『人、六行観を修して、『上界のぢやうを得ん』と思ふとき、下地は、なり、苦なり、障なり。上地は、静なり、妙なり、離なりといふことを信じて、下地のいやしきさまを厭ひ、上地の妙なることを願へば、その観念の力にて、次第にすすみて、悲想悲々想まで至るべし』と言へり。されば、西方の行人もまた同じことなり。智恵・行徳なくとも、穢土を厭ひ浄土を願ふ心ざし深くは、などか往生を遂げざらん」とのたまひければ、僧都、これを聞きて、「まことに理きはまり侍り」とて、涙を流し、たなごころを合はせて、し給ひにけり。


さて、『往生要集』を撰じ給ひけるに、そのことを思ひて、厭離穢土・欣求浄土を先とし給ふ。