思へども飽かず侍れば、昔のことを思ひ出づるに、この君だちを父も亡くなりて持たるに、人々参らせ、桃宮と申すも、えさらぬ筋にて、「われ知らむ」など、さまざまのたまひしかど、「法師になしてむ」と思ひなりにしを思ゆる。
思へども飽かず侍れば、昔のことを思ひ出づるに、このきんだちをてても亡くなりて持たるに、人々参らせ、桃宮ももみやと申すも、えさらぬ筋にて、「われ知らむ」など、さまざまのたまひしかど、「法師になしてむ」と思ひなりにしを思ゆる。


火の家を
こしらへ出でて
とらせてし
このくるまをも
今は待つかな
ひのいへを
こしらへいでて
とらせてし
このくるまをも
いまはまつかな


かけてける
衣の裏の
珠ぞとも
立ち帰らずは
誰か告ぐべき
かけてける
ころものうらの
たまぞとも
たちかへらずは
たれかつぐべき


なと思ゆるに、秋風少し吹く音すれば、



わたの原
漕ぎ離れたる
秋よとや
四方の浦風
身にぞしみける
わたのはら
こぎはなれたる
あきよとや
よものうらかぜ
みにぞしみける


思ひ残すことなく、もののみあはれなるに、秋の盛りの花、女郎花・萩・蘭・撫子にありし年ごろ、秋山の唐紅に見えし色、唐土の名に思ひなしたる心地して、別れのみ秋は心のもみぢ焦がれつつ、「あなやくなや」と、過ぎにしさへぞ、厭はしき。
思ひ残すことなく、もののみあはれなるに、秋の盛りの花、女郎花おみなへしはぎらに撫子なでしこなど見るにも、奥山にありし年ごろ、秋山の唐紅からくれなゐに見えし色、唐土もろこしの名に思ひなしたる心地して、別れのみ秋は心のもみぢ焦がれつつ、「あなやくなや」と、過ぎにしさへぞ、厭はしき。


さるは、三十あまりしより、死なむことを疑ひなく、夜などは、「寝入りてややまむ」など思えしかば、うち解けて、人のあたりにもむつかしう、暑きなどにも単衣など身にひきまとひつつなんせしかば、見る人々、「あまりの心」と言はれし命の、かく長くて、この二十年ばかり、月日の過ぐるを厭ひ、阿弥陀仏を念じ奉りて、夜昼この世を厭ひ侍るに、かく世にたぐひなきことをさへ見侍るに、「仏さへ憎ませ給ふにこそいと心憂く、さりとも絶ゆべきかは」と思ひてぞ。
さるは、三十あまりしより、死なむことを疑ひなく、よるなどは、「寝入りてややまむ」など思えしかば、うち解けて、人のあたりにもむつかしう、暑きなどにも単衣ひとへなど身にひきまとひつつなんせしかば、見る人々、「あまりの心」と言はれし命の、かく長くて、この二十年ばかり、月日の過ぐるを厭ひ、阿弥陀仏を念じ奉りて、夜昼この世を厭ひ侍るに、かく世にたぐひなきことをさへ見侍るに、「仏さへ憎ませ給ふにこそいと心憂く、さりとも絶ゆべきかは」と思ひてぞ。


思ひ出づる
まことの道の
たかはずは
蓮の上を
いかが見ざらむ
おもひいづる
まことのみちの
たかはずは
はちすのうへを
いかがみざらむ


とぞ、心の内には疑ひなく思え侍る。



すみ給ふ
仏の池の
清ければ
あみだにこそは
罪すくふらめ
すみたまふ
ほとけのいけの
きよければ
あみだにこそは
つみすくふらめ


とぞ、頼み奉る。



八月十五夜、月いみじく明かきに、仏の御光思ひやられて、
八月十五夜、月いみじく明かきに、仏の御光ひかり思ひやられて、


円かなる
月の光を
ながめても
入る山の端の
奥ぞゆかしき
円かなる
つきのひかりを
ながめても
いるやまのはの
おくぞゆかしき


など思ひつつ、過ぎ行く月日は、「ただ死なむほどの今日にや」と言ひ思ひ暮しつつ、九月になりぬるに、折り知り顔に、菊の花咲くさましたり。



長月といふ名も、久しきことの厭はしきによそへられて、「とく過ぎよかし」と思ゆるに、菊の花咲きて色々なるも、いかに「うつろへ」とは言ひそめしにか。
長月ながつきといふ名も、久しきことの厭はしきによそへられて、「とく過ぎよかし」と思ゆるに、菊の花咲きて色々なるも、いかに「うつろへ」とは言ひそめしにか。


秋深くなるにも、いとどもののみあはれにて、見出だしたれば、時雨のやに雨の音す。



花散りし
春の別れの
悲しさの
涙や秋の
時雨なるらむ
はなちりし
はるのわかれの
かなしさの
なみだやあきの
しぐれなるらむ


いみじううつろひたるに、



うつらふは
唐錦とや
きくの花
よそふるしもぞ
消え返りぬる
うつらふは
からにしきとや
きくのはな
よそふるしもぞ
きえかへりぬる


異事思えぬままに、あやしけれど、言ひつつ慰め侍る。
異事ことごと思えぬままに、あやしけれど、言ひつつ慰め侍る。