五月五日とて、幼き稚児どもの、菖蒲取り散らして、「これにもの書け」と言へば、
五月五日とて、幼き稚児どもの、菖蒲さうぶ取り散らして、「これにもの書け」と言へば、


いつかとも
知らぬこひぢの
菖蒲草
うきねあらはす
今日にこそありけれ
いつかとも
しらぬこひぢの
あやめくさ
うきねあらはす
けふにこそありけれ


とも、世の常なることを、「音に泣くのみも」いかなる人か言にけむ、それにも必ず慰まぬことにこそ。
とも、世の常なることを、「に泣くのみも」いかなる人かにけむ、それにも必ず慰まぬことにこそ。

底本「に」に「ひ歟」と傍書。
「渡るとも消息は必ず言はむ」とありし、待つに見えで、人々の、「早く、渡り給ひにけり。
「渡るとも消息せうそこは必ず言はむ」とありし、待つに見えで、人々の、「早く、渡り給ひにけり。


筑紫の人々も、あはれがり泣きし」など言ふに、身のいとはしさまさりてぞ。



「昔の人の、『憂きぞかぎりは』と言ひたる、まことにこそ」と、天をながめて、明かし暮らす。



今は、人を見むの心もなく、ただ、この世のなからむを願ひわぶるなり。



何ごとを
昔の人は
思ひてか
泣くに命を
絶ゆと言ひけむ
なにごとを
むかしのひとは
おもひてか
なくにいのちを
たゆといひけむ


とぞ思ゆる。



あだなれど
歎くわが身は
会ふことの
かたきにこそは
なりはてぬらめ
あだなれど
なげくわがみは
会ふことの
かたきにこそは
なりはてぬらめ


かやうのこと、をかし思ふにも侍らず、ただ、言ふ方なく人に問ふとも、かひありて、よひうし聞こえて、見すべきならねば、ただ泣く泣くも思ゆるままに言ひ侍るなり。


「よひうし」は意味不明。底本「う」に「本ニ本」と傍書。
「世に侍らずなり侍りなむに、な散らしそ」と言ひ置けど、それも思ひ知る人、必ずしも侍らじ。



もし、あはれ知り給はむ人は、「あはれ」とも思せかし。



五月ばかりのことなり。



会ふことを
いつかと待ちし
菖蒲草
うきためしにや
人に引かれむ
会ふことを
いつかとまちし
あやめくさ
うきためしにや
ひとにひかれむ