日数もはかなく過ぎて、六月になりぬ。



「三月ばかりに、まことに渡り給ひにけり」と聞きはてて、「今は身のたいもかくにこそは」と、いとあはれに、たぐひなかりける身の、宿世推し量られたるにも、
「三月ばかりに、まことに渡り給ひにけり」と聞きはてて、「今は身のたいもかくにこそは」と、いとあはれに、たぐひなかりける身の、宿世すくせ推し量られたるにも、


昔、十五ばかりなりしほどに、「三河の入道といふ人渡る」とて、唐に率て奉る縫ひ仏、集まりて、人の見しに、「いかなる人ぞ」と人の言ひしに、「親を捨てて渡る。あはれ」など人言ひし、何とも思えざりし、今ぞ、「親、いかに」とあはれに。
昔、十五ばかりなりしほどに、「三河の入道といふ人渡る」とて、唐にて奉る縫ひ仏、集まりて、人の見しに、「いかなる人ぞ」と人の言ひしに、「親を捨てて渡る。あはれ」など人言ひし、何とも思えざりし、今ぞ、「親、いかに」とあはれに。


これも、人はさこそは言ふらめ。



いまぞ身を知るに、いみじう、「いかで」と思ひ出でらること多かりけるありさまの、「この世に生き給へらむに、生き会はずは、蓮の上にてぞ」とのたまひし、「などて、ものも言はで、ただ泣き悲しむことのみして、出だしやり聞こえけむ」とぞ、悔しうわびしう思ゆる。
いまぞ身を知るに、いみじう、「いかで」と思ひ出でらること多かりけるありさまの、「この世に生き給へらむに、生き会はずは、はちすの上にてぞ」とのたまひし、「などて、ものも言はで、ただ泣き悲しむことのみして、出だしやり聞こえけむ」とぞ、悔しうわびしう思ゆる。


「ただ、とく死なむより、ほかの喜び、今はこの世にあるまじ」とのみぞ。



少しも、「あはれなり」と思はむ人は、ただ、「とく死ね」と思ふべきなり。



「極楽に参らむに」とは、さりとも思ひ侍るほどに、のたまへること、などて疑はむ。



疑ひの
変らぬ道と
聞きつるを
われしもことに
何か歎かむ
うたがひの
かはらぬみちと
ききつるを
われしもことに
なにかなげかむ


残りて世にあらむ人、これを見て、他縁に随ひて、功徳になるべからんことを、とぶらふべきなり。
残りて世にあらむ人、これを見て、他縁たえんに随ひて、功徳になるべからんことを、とぶらふべきなり。


すくれたる
蓮の上を
願ふ身は
人より先に
急がるるかな
すくれたる
はちすのうへを
ねがふみは
ひとよりさきに
いそがるるかな


九品蓮台の蓮の上を願ひ侍る心なり。