正月になりても、「この月のつごもりぞかし、岩倉より仁和寺へ渡りしは」と思ひ出づるに、「三年になりにける」と、いとあはれなるにも、「おぼつかなく隔てける年かな」とぞ、
正月になりても、「この月のつごもりぞかし、岩倉より仁和寺にわじへ渡りしは」と思ひ出づるに、「三年になりにける」と、いとあはれなるにも、「おぼつかなく隔てける年かな」とぞ、


あまたたび
年も暮れゆく
別れには
わがみとせをや
忘られぬらむ
あまたたび
としもくれゆく
わかれには
わがみとせをや
わすられぬらむ


など、独りごつ。



正月七日ぞ、治部の君の文持て来たりし僧の、「筑紫へまかで、唐人の渡らむたよりに参りて、やがて御房のこなたにおはせんに来む」と言ふに、文書きて取らすれど、行方も知らぬ心地してぞあるに、「まだ、京にありとこそ聞け」とあり。
正月七日ぞ、治部の君の文持て来たりし僧の、「筑紫へまかで、唐人の渡らむたよりに参りて、やがて御房のこなたにおはせんに来む」と言ふに、ふみ書きて取らすれど、行方ゆくへも知らぬ心地してぞあるに、「まだ、京にありとこそ聞け」とあり。

治部の君=源隆俊
心も得られねば、え取りも返さでぞ、あやしくおぼつかなく思ひ侍るに、二月十四日、岩倉より、「唐より筑紫なる人のもとにおこせ給へる文」とて、「殿ばらに持て来たる」とてあるを見侍れば、去年の正月一日ありける。
心も得られねば、え取りも返さでぞ、あやしくおぼつかなく思ひ侍るに、二月十四日、岩倉より、「唐より筑紫なる人のもとにおこせ給へる文」とて、「殿ばらに持て来たる」とてあるを見侍れば、去年こぞの正月一日ありける。


「三月十九日、筑紫の肥前の国、松浦の郡郡のふくゐ山を見る。
「三月十九日、筑紫の肥前の国、松浦のこほりに、壁島といふ所を離れて、同じ二十三日、みむしう2のふくゐ山を見る。


そこに、三日の風なくてあるに、はじめて羊の多かるを見る。



同じ二十九日、ゑしうのしらのそくに着く。


越州か。
思胡の浦か。
たよりの風なくして、数の日をつめらる。



四月十三日、杭州のふかく天に着く。



二十九日、大都の守、なんつい山のきようかけ寺に、受け来たる八人の僧に、さいすはし重く迎へらる。
二十九日、大都たいとの守、なんつい山のきようかけ寺に、受け来たる八人の僧に、さいすはし重く迎へらる。

南屏山か。
興教寺か
日本の朝の面目とす。
日本のてう面目めぼくとす。


五月一日、筆ぞ賜はりて」


「筆ぞ」は底本「ふてそう」。「う」の衍字とみて削除
人々あれど、ここには文もなし。



「筑紫にあり」と聞けど、見えねば、おぼつかなさは、慰むかたもなし。



ただ、「本意かなひて、心ゆき給へらんぞ。さは、かしこにおはし着きて見給ふべき人にこそ」と、
ただ、「本意ほいかなひて、心ゆき給へらんぞ。さは、かしこにおはし着きて見給ふべき人にこそ」と、


少しことわらるれど、わが身のおぼつかなさ、ただ今日か明日かを待つ命なれば、この世のことも思ゆまじ。



いとど、遥かなる別れなりけむ身のほど、あはれにぞ。



年ごろも心にかけたる西の方をうちながめつつ、入り日の折りは拝むに、ともすれば曇り、雲の隠すに、



その方と
慕ふ入り日を
立ち隠す
世にうき雲の
いとはしきかな
そのかたと
したふいりひを
たちかくす
よにうきくもの
いとはしきかな


よろづにつけて、身のみ厭はしけれど、心憂かりける命長さをぞ思ひわびては、「さはありとならば、阿闍梨おはして、この世に見え給へかし。
よろづにつけて、身のみ厭はしけれど、心憂かりける命長さをぞ思ひわびては、「さはありとならば、阿闍梨あざりおはして、この世に見え給へかし。


それこそは長命のかひならめ」と思へど、心地の弱り行くさまは、あるべくも思え侍らず。
それこそは長命いのちのかひならめ」と思へど、心地の弱り行くさまは、あるべくも思え侍らず。


尽きもせ
ず落つる涙
はからくに
のとわたる船に
おりはへもせじ
つきもせず
おつるなみだは
からくにの
とわたるふねに
おりはへもせじ


とのみ、独りごちて、目は霧つつ過ぐす。