昔、「さりとも」と頼み聞こえさせしあたりも、忘れ給へれば、「わが心もなきか」と思ひつつ過ぎ侍るにも、



かはとだに
言はぬなりけり
早くより
みなれ渡りて
そぼちしかども
かはとだに
いはぬなりけり
はやくより
みなれわたりて
そぼちしかども


とぞ、時々独りごちて侍る。



阿闍梨の知りおき給へりける所々、法師なるも、男なるも、おとづれつとしてとぶらふにも、
阿闍梨あざりの知りおき給へりける所々、法師なるも、男なるも、おとづれつとしてとぶらふにも、


「人はかくこそありけれ。わが身うたて、世にかひなくて」と思ひ知られつつ、



うらうらに
みるめばかりは
見しかども
石見潟こそ
かひなかりけれ
うらうらに
みるめばかりは
みしかども
いしみかたこそ
かひなかりけれ


石見潟
塩のやくとは
うらみねど
あまりありやと
問ふ人ぞなき
いしみかた
しほのやくとは
うらみねど
あまりありやと
とふひとぞなき


受領の中には、肥前の守・宮内卿の殿・治部卿殿など、常に問ひ給ふにかかりて、過ぐし侍るに、されば、昔見馴れ給へる人も、思さぬは、かひなきことに侍り。
受領ずりやうの中には、肥前の守・宮内卿の殿・治部卿殿など、常に問ひ給ふにかかりて、過ぐし侍るに、されば、昔見馴れ給へる人も、思さぬは、かひなきことに侍り。

肥前の守=藤原定成
宮内卿の殿=源経長か
治部卿殿=源隆俊
今一人の頼もし人の、律師の御房、世にたぐひなき聖にて、こもり居給ひて、内の御修法ならぬことには出で給はで過ぐし給ふを、ありがたく思ひ聞こえて侍るなり。
今一人の頼もし人の、律師の御房、世にたぐひなきひじりにて、こもり居給ひて、内の御修法ならぬことには出で給はで過ぐし給ふを、ありがたく思ひ聞こえて侍るなり。

律師の御房=成尋阿闍梨母のもう一人の子
今は阿弥陀仏を心にかけ奉りて、とく死にて、極楽に参らむことをのみ思ひ侍りてぞ、明け暮れ西を見やりつつ、明かし暮し侍る。



幼者どもの、楓を取り持て来たる、見れば、蝶の飛びかかりたるやうに花咲くものなりける。
幼者をさなものどもの、かへでを取り持て来たる、見れば、蝶の飛びかかりたるやうに花咲くものなりける。


をかしう見えて、



名にし負へば
色かへでこそ
頼まるれ
こてふに似たる
花も咲きけり
なにしおへば
いろかへでこそ
たのまるれ
こてふににたる
はなもさきけり


おぼつかなくのみ、いとど隔てまさる心地し侍る。