筑紫には、生の松原ありと聞きて、
筑紫には、いきの松原ありと聞きて、


音に聞く
生の松原
名にし負はば
行きかふ人も
万代ぞ経む
おとにきく
いきのまつはら
なにしおはば
ゆきかふひとも
よろづよぞへむ


竃門山といふ所もあんなれば、
竃門山かまどやまといふ所もあんなれば、


思ひやる
心を知らば
竃門山
はるけき道も
照りぞ渡らむ
おもひやる
こころをしらば
かまどやま
はるけきみちも
てりぞわたらむ


人々、「津の国といふ所におはしぬらん」と言へば、



葦間行く
船もさはらず
漕ぎてぬと
聞けば難波の
恨めしきかな
あしまゆく
ふねもさはらず
こぎてぬと
きけばなにはの
うらめしきかな


天をながむるに、青く見えわたれば、



かの岸を
思ひやりてぞ
青□
□□この
かたをながむる
かのきしを
おもひやりてぞ
あを□
□□この
かたをながむる

この行数文字欠文。底本、「本ニ心えずとあり本ママ」とある。
三・四日ありて、「今は、肥前の児島などにや」と言へば、



その方に
漕ぎ行く船の
われならば
かれはこじまと
なぐさめてまし
そのかたに
こぎゆくふねの
われならば
かれはこじまと
なぐさめてまし


「必ず帰らむず。そのほど生き給へ」とありし、思ひ出でられて、



かりにても
見るめなきさの
つらけれは
しほりわひぬる
あまのそてかな
かりにても
みるめなきさの
つらけれは
しほりわひぬる
あまのそてかな


この宮阿闍梨の文、見侍るにも、
この宮阿闍梨みやあざりの文、見侍るにも、

永覚阿闍梨か。
川と聞く
涙に浮ぶ
悲しさに
下り立つ身をば
せきぞかねつる
かはときく
なみだにうかぶ
かなしさに
くだりたつみをば
せきぞかねつる


とぞ思え侍る。



天王寺別当宮の阿闍梨、この阿闍梨の御もとに、あはれなることども書きて、端書に、
天王寺別当べたう宮の阿闍梨、この阿闍梨の御もとに、あはれなることども書きて、端書はしがきに、

この阿闍梨=成尋
悲しみの
涙の川に
浮ぶかな
流れ会はばや
法の海にて
かなしみの
なみだのかはに
うかぶかな
ながれ会はばや
のりのうみにて


返し、



悲しみの
涙を寄する
法の海の
一つ岸をば
住みも離れじ
かなしみの
なみだをよする
のりのうみの
ひとつきしをば
すみもはなれじ


この仁和寺の松風、ときはにのみ吹きて、いとどものあはれにのみぞ。
この仁和寺にわじの松風、ときはにのみ吹きて、いとどものあはれにのみぞ。


別れ路の
心や空に
通ふらむ
人まつ風の
絶えず吹くかな
わかれぢの
こころやそらに
かよふらむ
ひとまつかぜの
たえずふくかな


と、独りごちて、日ごろになるにも、もののみ悲しう、「死なましかば」とのみ。



命だに
心にかなふ
身なりせば
遠ざかりゆく
日数経ましや
いのちだに
こころにかなふ
みなりせば
とほざかりゆく
ひかずへましや