ほど経るままに、夢を悪しう見たる心地のみして、ただ、うつつとも思えず、なべての世さへ暗れふたがりたる心地して、過ぎにし方のみ恋ひしう、近かりし折も、ことに軽々しくもてなし聞こえず、ならひ侍らざりしかど、面影に向ひ居給へる心地して、涙のみ暗れふたがりたる目に、異事も見えず。
ほど経るままに、夢を悪しう見たる心地のみして、ただ、うつつとも思えず、なべての世さへ暗れふたがりたる心地して、過ぎにし方のみ恋ひしう、近かりし折も、ことに軽々しくもてなし聞こえず、ならひ侍らざりしかど、面影に向ひ居給へる心地して、涙のみ暗れふたがりたる目に、異事ことごとも見えず。


ただ、「とく死なせ給へ」と、仏のみ念じ奉るほどに、律師おはして、向ひ居給へるほどぞ、少し慰むる心地して、もののたまふいらへなど聞こゆる。
ただ、「とく死なせ給へ」と、仏のみ念じ奉るほどに、律師りしおはして、向ひ居給へるほどぞ、少し慰むる心地して、もののたまふいらへなど聞こゆる。

律師=成尋阿闍梨母のもう一人の子。
「何か。



ものな思しぞ。



ただ、阿弥陀仏をよく念じ奉りおはせ」と言ひ置きておはするほど、入り日さしたり。



「極楽願ふ」とありし。



思ひ出でられて、



もろともに
尋ね見よかし
いれ置きし
仏の路は
変らじものを
もろともに
たづねみよかし
いれおきし
ほとけのみちは
かはらじものを


うらみては
あしと言ふなる
難波潟
涙ぞ袖は
包みわびぬる
うらみては
あしといふなる
なにはかた
なみだぞそでは
つつみわびぬる


日ごろになるにも、心地の弱く、苦しくなりて、「さは、今は、言ひ置き給ひし阿弥陀仏は、九品蓮台に迎へ給へ。



そこにてだに、必ず対面せむ」と思ひなり侍りにき。



恋ひしく思え給ふこそ、わりなく片思ひに、あはれに侍るにも、世に人多かれど、「かかる人の心やは」と、昔世知らまほしく。
恋ひしく思え給ふこそ、わりなく片思ひに、あはれに侍るにも、世に人多かれど、「かかる人の心やは」と、昔世むかしよ知らまほしく。


人のもとより、のたまへる、



思ひやる
心の内の
悲しさを
あはれいかにと
言はぬ日ぞなき
おもひやる
こころのうちの
かなしさを
あはれいかにと
いはぬひぞなき


返し、



生けらじと
水底にこそ
沈みたれ
言ひやることも
なき涙かな
いけらじと
みなそこにこそ
しずみたれ
いひやることも
なきなみだかな


阿闍梨の、「必ず詣で来て、失せなば、跡なりとも見む」とありし、思ひ出でられて、
阿闍梨あざりの、「必ずで来て、失せなば、跡なりとも見む」とありし、思ひ出でられて、


きぬべしと
たのめしかども
唐衣
立ち返るまで
経べきわが身か
きぬべしと
たのめしかども
からころも
たちかへるまで
ふべきわがみか


と思ゆるほどに、松風の音、聞こゆれば、



別れ路を
歎く心に
まつ風の
吹き驚かす
音ぞ聞こゆる
わかれぢを
なげくこころに
まつかぜの
ふきおどろかす
おとぞきこゆる


うらみわび
涙絶えせぬ
藻塩
草かき集めて
も塩垂れぞ増す
うらみわび
なみだたえせぬ
もしほぐさ
かきあつめても
しほたれぞます


涙川
なくなくなりて
絶えぬとも
ながれけりとは
跡に来て見よ
なみだかは
なくなくなりて
たえぬとも
ながれけりとは
あとにきてみよ


はるばると
人はいくとも
われはなき
別れなりせば
歎かましやは
はるばると
ひとはいくとも
われはなき
わかれなりせば
なげかましやは


山の方に鶯の鳴けば、



常磐山
こずゑを頼む
鶯の
つらき音に鳴く
はなにもあるかな
ときはやま
こずゑをたのむ
うぐひすの
つらきねになく
はなにもあるかな

春」の誤りか。