三月五日、夜の夢に、「御方、例ならずおはす」と見えしかば、「何ごとにか」と、いとおぼつかなく、人知れぬ命はいとどつすれど、返す返すおぼつかなくのみぞ。
心地、いと悪しく、「なほ、しばしえ長らふまじきにや」と思ゆれど、
「帰りおはしたらむをみたらむ時、いかならむ」とぞ思えて、
行き返り
かりこま山を
まつほどに
ははその森は
散りや果てなむ
ゆきかへり
かりこまやまを
まつほどに
ははそのもりは
ちりやはてなむ
敷島や
山はたのみも
あるものを
露降り捨つる
小笹原かな
しきしまや
やまはたのみも
あるものを
つゆふりすつる
をささはらかな
うらみわび
海士も涙に
沈むかな
いづら浮木の
枝に会ふべき
うらみわび
あまもなみだに
しずむかな
いづらうきこの
えだにあふべき
海人小舟
のり取る方も
忘られぬ
みるめなぎさの
うらみするまに
あまをぶね
のりとるかたも
わすられぬ
みるめなぎさの
うらみするまに
夜さり、苦しうて、うち臥したれど、寝られねば、
夜さり、苦しうて、うち臥したれど、寝られねば、
阿弥陀仏の
絶え間苦しき
海人はただ
いを安くこそ
寝られざりけれ
あみだぶの
たえまくるしき
あまはただ
いをやすくこそ
ねられざりけれ
朝日待つ
露につけても
忘られず
契りおきてし
言の葉なれば
あさひまつ
つゆにつけても
わすられず
ちぎりおきてし
ことのはなれば
歎きつつ
はかなう過ぐる
日数かな
これや羊の
歩みなるらむ
なげきつつ
はかなうすぐる
ひかずかな
これやひつじの
あゆみなるらむ
袖のうら
に涙の珠は
走りつつ
あらはなれども
知る人もなし
そでのうら
になみだの珠は
はしりつつ
あらはなれども
しるひともなし
しひ止むる
この世にまたも
あひ見ずは
たまかけるとも
誰かつぐべき
しひとむる
このよにまたも
あひみずは
たまかけるとも
たれかつぐべき
阿弥陀仏と
思ひて行けば
凉しくて
すみ渡るなる
そこよりぞ
九品にて
蓮葉を
生ひのほかなる
上葉こそ
露のわが身を
置きてむと
思ふ心し
深ければ
この世につらき
ことも歎かぬ
あみだぶと
おもひてゆけば
すずしくて
すみわたるなる
そこよりぞ
ここのしなにて
はちすはを
おひのほかなる
うはばこそ
つゆのわがみを
おきてむと
おもふこころし
ふかければ
このよにつらき
こともなげかぬ
契り置きし
蓮の上の
露にのみ
あひ見しことを
限りつるかな
ちぎりおきし
はちすのうへの
つゆにのみ
あひみしことを
かぎりつるかな
消え返り
露の命は
長らへで
涙のたまぞ
留めわびぬる
きえかへり
つゆのいのちは
ながらへで
なみだのたまぞ
とどめわびぬる
歎きつつ
わが身はなきに
なり果てぬ
今はこの世を
忘れにしがな
なげきつつ
わがみはなきに
なりはてぬ
いまはこのよを
わすれにしがな
世の憂きを
つらきも知らで
やみねかし
あるにもあらず
なりぬとならば
よのうきを
つらきもしらで
やみねかし
あるにもあらず
なりぬとならば
わが魂は
行方も知らず
なりにけり
われか人かと
たどらるるまで
わがたまは
ゆくへもしらず
なりにけり
われかひとかと
たどらるるまで
歎くにも
言ふにもかひ
のなき身に
は出で入る息の
絶ゆるをぞ待つ
なげくにも
ことふにもかひ
のなきみに
はいでいる息の
たゆるをぞまつ
呼子鳥
身にそふ影に
聞こえねど
なぞやなぞやと
言はれこそすれ
よぶこどり
みにそふかげに
きこえねど
なぞやなぞやと
いはれこそすれ
歎き暮らしたる夕暮れ、つねよりも面影に思え給へば、もの思えぬ心地に、おはしたる心地して、
恋ひわたる
夕暮れ方の
面影を
たそがれ時と
言ふにやあるらん
こひわたる
ゆふくれかたの
おもかげを
たそがれときと
いふにやあるらん
尽きせず、もののみ思ゆるに、人のおはしまして、「五月になりにけり」と言ふを聞くに、
尽きせず、もののみ思ゆるに、人のおはしまして、「五月になりにけり」と言ふを聞くに、
別れ路の
はかなく過ぐる
日数かな
いづくにすべき
涙ならぬに
わかれぢの
はかなくすぐる
ひかずかな
いづくにすべき
なみだならぬに
阿闍梨のおはせざらむほど、「文おこせ、問ふべき人」と聞きし、音もせねば、
阿闍梨のおはせざらむほど、「文おこせ、問ふべき人」と聞きし、音もせねば、
うらさびず
ふみ来むものと
聞きしかど
いづら千鳥の
跡の見えける
うらさびず
ふみこむものと
ききしかど
いづらちとりの
あとのみえける
言ふかたも
なぎさにこそは
海人小舟
釣りのうけ縄
たゆたひてふる
いふかたも
なぎさにこそは
あまをぶね
つりのうけなは
たゆたひてふる
今はよも
あたの下には
あり経じと
思ひなるにも
降る涙かな
いまはよも
あたのしたには
ありへじと
おもひなるにも
ふるなみだかな