昔、秦の穆公の娘に弄玉と申す人ありけり。



秋の月のさやけくくまなきに心を澄まして、全く世の事にほだされず。
秋の月のさやけくくまなきに心を澄まして、またく世の事にほだされず。


また、簫史といふ楽人あり。



秋月清くすさまじき曙に簫を吹く声、あはれにかなしき事限りなし。
秋月清くすさまじきあけぼのに簫を吹くこゑ、あはれにかなしき事限りなし。


弄玉、それにや心を移しけん。



進みて逢ひ給ひにけり。



世のあさましきことに思ひ謗りけれど、いかにも苦しと思えず、ただもろともに台の上にて簫を吹き、月をのみ眺め給ふこと二心なし。
世のあさましきことに思ひそしりけれど、いかにも苦しと思えず、ただもろともにうてなの上にて簫を吹き、月をのみ眺め給ふこと二心ふたごころなし。

世の=「世の人」か
鳳凰といふ鳥、飛び来たりてなむこれを聞きける。



月やうやく西に傾きて、山の端近くなるほどに、心やいさぎよかりけん、簫史・弄玉二人の人を具して、むなしき空に飛び上りぬ。
月やうやく西にかたぶきて、山の近くなるほどに、心やいさぎよかりけん、簫史・弄玉二人の人を具して、むなしき空に飛び上りぬ。


たぐひなく
月に心を
澄ましつつ
雲に入りにし
人もありけり
たぐひなく
つきにこころを
すましつつ
くもにいりにし
ひともありけり


むなしき空に立ち昇るばかり心の澄みけんも例なくぞ。
むなしき空に立ち昇るばかり心の澄みけんもためしなくぞ。


また簫の声に賞でて、人の嘲りを忘れ給けんも、好ける御心の根、推し量られていといみじ。
また簫の声に賞でて、人の嘲りを忘れ給けんも、好ける御心の、推し量られていといみじ。