昔、同じ御門、誰とは申しながら、限りなくこの世を惜しみ、命ながらへんことを願ひ給ひけり。


同じ御門=漢の武帝のこと。前話参照
誰=清水浜臣本の「誰も」が正しいか

幻と聞こゆる仙人に仰せて、蓬莱不死の薬取りに遣はしつつ、はかなき御遊び・戯れにも、この世にながらへておはせんことをぞ、いとなみ給ひける。
まぼろしと聞こゆる仙人に仰せて、蓬莱不死の薬取りに遣はしつつ、はかなき御遊び・戯れにも、この世にながらへておはせんことをぞ、いとなみ給ひける。


おほよそ人の好み願ふことは、必ずむなしからねば、この御時、東方朔といふ人、仙宮より罪犯して、暫く人間に下されたりけるを、御門、間近く召し使ひて、よろづおぼつかなく思されけることをば、まづこの人にぞ問はせ給ひける。



かかるほどに、宮の内に、色黄なる雀の例の色にも似ずあやしきさましたる、飛び遊びけるを、御門、「日ごろかかる鳥見えず。いかなることにか」と問ひ給ふに、東方朔、申していはく、「君、長生不死の道を好み給ふにより、御心にめでて、『西王母と申す仙女、参りて遊び奉らん』と告げ知らする由の使ひなり」と聞こえさするに、御門、嬉しく思さるること限りなし。
かかるほどに、宮の内に、色黄なる雀の例の色にも似ずあやしきさましたる、飛び遊びけるを、御門、「日ごろかかる鳥見えず。いかなることにか」と問ひ給ふに、東方朔、申していはく、「君、長生不死の道を好み給ふにより、御心にめでて、『西王母と申す仙女、参りて遊び奉らん』と告げ知らするよしの使ひなり」と聞こえさするに、御門、嬉しく思さるること限りなし。

御門=底本「帝」
「いかなる有様にて、その人を待つべきぞ」とのたまはするに、「宮の内静かにて、庭の面を浄め、香を焚き、様々の床を設け給ふべし」と申しけり。
「いかなる有様にて、その人を待つべきぞ」とのたまはするに、「宮の内静かにて、庭のおもを浄め、香を焚き、様々のゆかまうけ給ふべし」と申しけり。


かくて、頼めしほどにもなりぬれば、御門、御心すみやきつつ、床のもとに、東方朔を隠し置きて、人知れず、「今や、今や」と待たせ給ふに、秋八月ばかり、月の光くまなき夜、香ばしき風うち吹きて、晴の空のどかなるに、紫の雲一群たなびきけり。
かくて、頼めしほどにもなりぬれば、御門、御心すみやきつつ、床のもとに、東方朔を隠し置きて、人知れず、「今や、今や」と待たせ給ふに、秋八月ばかり、月の光くまなき夜、香ばしき風うち吹きて、晴の空のどかなるに、紫の雲一群ひとむらたなびきけり。

御門=底本「帝」
その中より、この世ならず目もあやなる人、百人ばかり降り下れり。



そのうちに主と思しき人、御門に会ひ奉りて、様々のことどもを聞こえさす。
そのうちにあるじと思しき人、御門に会ひ奉りて、様々のことどもを聞こえさす。


やや久しくなるほどに、この人、桃七を取り出だして、その三をば御門に奉らせ給へり。



これを御口に触れ給ひけるより、御身も軽く御心地も涼しくならせ給ひて、空にも飛び昇りぬべく、生死・罪障も解けぬべくや思しけん、「この桃、我園に移し植ゑて種をも取りてしがな」とのたまひけるに、西王母うち笑ひて、「天上の木の実の、人間に留まり難くや」となん言ふにも、足らずげに思せり。
これを御口に触れ給ひけるより、御身も軽く御心地も涼しくならせ給ひて、空にも飛び昇りぬべく、生死・罪障も解けぬべくや思しけん、「この桃、我園に移し植ゑて種をも取りてしがな」とのたまひけるに、西王母うち笑ひて、「天上のの実の、人間に留まり難くや」となん言ふにも、足らずげに思せり。


また、「不死の薬や侍る」と尋ねさせ給ふにも、「生老病死の下界に生まれ給ひながら、いかでか不死の薬を求めさせ給ふべき。はかなき御心なり」と聞こえさす。



西王母のみにあらず。



かひなき愚かなる心にも、昔のかしこきひじりの御門の御言葉とは思えず。



かくて、しばしばかりあるに、上元夫人に雲環の瑟打たせて、挙妃𤧶と聞こゆる仙人舞ひけり。
かくて、しばしばかりあるに、上元夫人に雲環うんくわんしつ打たせて、挙妃𤧶きょひかと聞こゆる仙人舞ひけり。


玉の簪を動かし、錦の袖を翻すありさま、廻れる雪にことならず。
たまかんざしを動かし、錦の袖を翻すありさま、めぐれる雪にことならず。


御門、これを見給ふに、思ほえず御袖濡れにけり。



この世の楽の声は物の数ならず思え給ひけるより、御心もいたくあくがれぬ。
この世のがくの声は物の数ならず思え給ひけるより、御心もいたくあくがれぬ。


夜、やうやう明け方になるほどに、「その御床下に隠れ居て侍りける東方朔は、仙宮の人なり。しかも、かの三千年に一度なる桃を三度まで盗める罪によりて、しばらく人間に下されたる。咎を贖ひて後は、また天上に返り来たるべきなり」とのたまひて、紫の雲立ち返りぬ。
夜、やうやう明け方になるほどに、「その御床下ゆかしたに隠れ居て侍りける東方朔は、仙宮の人なり。しかも、かの三千年みちとせ一度ひとたびなる桃を三度みたびまで盗める罪によりて、しばらく人間に下されたる。とがあかひて後は、また天上に返り来たるべきなり」とのたまひて、紫の雲立ち返りぬ。


紫の
雲立ち返り
行きしより
心は空に
あくがれにけり
むらさきの
くもたちかへり
ゆきしより
こころはそらに
あくがれにけり


この後は、いとど御心も空にあくがれて、いよいよ仙を願ひ給ひけり。



唐国の習ひにて、かしこき御門には仙人なども皆使はれ奉るにこそ。
唐国からくにの習ひにて、かしこき御門には仙人なども皆使はれ奉るにこそ。


はかなくならせ給ひて後も、御身は留まらせ給はざりけるとかや。