屠岸賈といふ人、争ふ心やありけん、ややもすれば、「この趙朔を退けん」と思ふ心深くて、失を求め、無きことを言ひつけて、罪に行なはるべきよしを主に言ひけれども、用ゐられざりければ、心中に憤り深くて明かし暮らすに、なほやすめ難くや思えけん、趙朔を始めとして、兄弟さなから亡ぼし失なひてけり。
屠岸賈といふ人、争ふ心やありけん、ややもすれば、「この趙朔を退けん」と思ふ心深くて、失を求め、無きことを言ひつけて、罪に行なはるべきよしを主 に言ひけれども、用ゐられざりければ、心中に憤り深くて明かし暮らすに、なほやすめ難くや思えけん、趙朔を始めとして、兄弟さなから亡ぼし失なひてけり。
亡ぼし=底本「ほのほし」。諸本により訂正
折しも、ただならぬことさへありて、隠れ惑ふにつけても、わりなく悲しかりけるを、杵臼・程嬰といふ二人のつかはれ人、主を思ふ心深ければ、人知れず隠し育みて、「もし生まれたらん子、男子ならば、親の敵をも思ひ知りなん。ただ、いかにもして、事なく人とならむことを思ひはからひけるを、敵、漏れ聞きて、めざましくなん思えければ、なほ尋ね求めても、その跡を失なはん」と思へりけり。
折しも、ただならぬことさへありて、隠れ惑ふにつけても、わりなく悲しかりけるを、杵臼・程嬰といふ二人のつかはれ人、主を思ふ心深ければ、人知れず隠し育みて、「もし生まれたらん子、男子 ならば、親の敵 をも思ひ知りなん。ただ、いかにもして、事なく人とならむことを思ひはからひけるを、敵、漏れ聞きて、めざましくなん思えければ、なほ尋ね求めても、その跡を失なはん」と思へりけり。
わりなく=底本「はりなく」。諸本により訂正
母の心に、せんかたなく思えながら、着たりける袴の中に子を入れて、教へていはく、「親の跡を継ぎて、君に仕へ奉るべきものならば、物の心を知らずいとけなしといふとも、声を立てて泣くことなかれ。もしまた、この時に当りて、子孫長く絶ゆべきならば、早く泣くべし」と心の内に思ひつつ、深く隠れ居たるに、本意のごとくおとなかりければ、敵求めかねて帰りぬ。
程嬰、答へていはく、「死なむは易し。平らかに養ひ立てんことはいと難し」と言ふに、杵臼がいはく、「恩の深きことは、君、我に勝れりき。易きにつけても、我まづ死なば、その後難きことを遂げて、必ず仇を報ひ給へ」と言ひつつ、幼なき子を一人抱きて、深き山の中に隠れ居たり。
程嬰、答へていはく、「死なむは易し。平らかに養ひ立てんことはいと難し」と言ふに、杵臼がいはく、「恩の深きことは、君、我に勝れりき。易きにつけても、我まづ死なば、その後難きことを遂げて、必ず仇 を報ひ給へ」と言ひつつ、幼なき子を一人抱 きて、深き山の中に隠れ居たり。
程嬰、敵に告げて、偽りていはく、「我、求め給へる子のあり所を知れり。願はくば、金千両を給へて、教へ奉らん」と言へるを、敵、喜び騒ぎて、たちまちに金千両を与へつ。
程嬰、敵に告げて、偽りていはく、「我、求め給へる子のあり所を知れり。願はくば、金 千両を給へて、教へ奉らん」と言へるを、敵、喜び騒ぎて、たちまちに金千両を与へつ。
杵臼、叫びていはく、「愚かなるかな程嬰。昔の恩を忘れて、もろともに人となさずといふとも、いかでか千々の金に耽りて、一人の子をば殺すべき。今は我を失なはんことは、そのいはれなきにあらず。いとけなき子におきては、何の罪かはあるべき。願はくは生けよ」と言ひけれど、たちまちに二人ながら殺しつ。
もろとも=底本「もつとも」。諸本により訂正
子に=底本「子には」。諸本により訂正。
子に=底本「子には」。諸本により訂正。
しかれば、いかなることをしてか、この病をやむべき」と宣ふに、韓厥といふ人、よろづに暗きことなかりければ、はからひ申していはく、「趙朔が後を仕はせ給ふべし。十五になる子一人、平らかにて侍り。有様をば細かに知らせ給はずや」と申しけり。
しかれば、いかなることをしてか、この病をやむべき」と宣ふに、韓厥といふ人、よろづに暗きことなかりければ、はからひ申していはく、「趙朔が後 を仕はせ給ふべし。十五になる子一人、平らかにて侍り。有様をば細かに知らせ給はずや」と申しけり。
「あさまし」と思して、たちまちに召しとりて見給ふに、昔殺されし親に、つゆばかりも違はず似たりけるを、あはれにいみじく思して、いつしか父の後を継がせ、位、身にあまるほどになりて後、本意のごとく親の敵を滅ぼし失なひつ。
「あさまし」と思して、たちまちに召しとりて見給ふに、昔殺されし親に、つゆばかりも違 はず似たりけるを、あはれにいみじく思して、いつしか父の後を継がせ、位、身にあまるほどになりて後、本意のごとく親の敵を滅ぼし失なひつ。
かくて後、この主に暇を乞ひていはく、「我は早く死に侍りなん」と言ふ時に、主、物思えず、心慌てて、「こはいかに」と言へり。
かくて後、この主に暇 を乞ひていはく、「我は早く死に侍りなん」と言ふ時に、主、物思えず、心慌てて、「こはいかに」と言へり。
程嬰いはく、「我、昔杵臼に誓ひき。易きにつけてまづ死なば、恩の深きによりて、難きことを遂げて後、必ず報ふべしと申しき。しかるを、我、今死なずば、杵臼にそら頼めするにあらずや。かしこき人は言ひつることを違へず」とばかり聞こえて、遂に我身を刺し殺しつ。