昔、楚の荘王と申す人、群臣を集めて、夜もすがら遊び給ひけり。



その御かたはらに、あさからず思ひ聞こえさせ給ひつる后さぶらひ給ふを、人知れず、「いかでか」と思ひ奉れる臣下ありけり。



灯火の風に消えたりけるひまに、后の御袖を取りて引きたりけるを、限りなく憤り深くや思しけん、御手をさしやりて、この男の冠の纓を取りて、「かかる事なん侍り。早く火を灯して、纓無からん人をそれと知らせ給へ」と申し給ふを、主もとより人を憐れみ情け深くおはしければ、灯火消えたるほどに、「これに侍る人々、おのおの纓を取りて奉るべし。その後火は灯すべし」と宣はするに、この男、涙もこぼれて嬉しく思えけり。
灯火の風に消えたりけるひまに、后の御袖を取りて引きたりけるを、限りなく憤り深くや思しけん、御手をさしやりて、この男のかうぶりえいを取りて、「かかる事なん侍り。早く火を灯して、纓無からん人をそれと知らせ給へ」と申し給ふを、あるじもとより人を憐れみ情け深くおはしければ、灯火消えたるほどに、「これに侍る人々、おのおの纓を取りて奉るべし。そののち火は灯すべし」と宣はするに、この男、涙もこぼれて嬉しく思えけり。


かくて、灯火あきらかなれど、誰も皆纓無かりければ、その人と見えざりけり。



かかれども、この人、「いかにしてか、主の情けを報ひ奉らん」と、心のうちに思へりけるに、主、敵の国に攻められて、危うきほどにおはしけるを、この人一人、身を捨てて戦ひければ、主勝たせ給ひにけり。
かかれども、この人、「いかにしてか、主の情けを報ひ奉らん」と、心のうちに思へりけるに、主、かたきの国に攻められて、危うきほどにおはしけるを、この人一人、身を捨てて戦ひければ、主勝たせ給ひにけり。


このことを思はずにあやしく思して、そのゆゑを尋ね問はせ給ふに、この人申していはく、「昔、后に纓を取られ奉りて、思ひやるかたなく思しし時、誰となくまぎらはし給ひしこと、我、今に忘れ侍らず」と泣く泣く申しけり。



情けなき
言の葉ならば
今日までも
露の命の
かからましやは
なさけなき
ことのはならば
けふまでも
つゆのいのちの
かからましやは


主、これを聞かせ給ふにも、「なほ、人として情けあるべきことにこそ」と思しけり。