三年ばかりになりぬれば、月日の過ぐるままには、いとどたぐひなくのみ思えて、さまざまに浅からず契りおきけることども、あまたたびになりぬ。
この男、思ひの他に年ごろ住み渡りける妻はかなくなりて、歎きやうやうおこたるほどに、この女を、「あはれ、いかでか」と、思ふに堪へぬ気色、色に出でぬ。
この男、思ひの他に年ごろ住み渡りける妻 はかなくなりて、歎きやうやうおこたるほどに、この女を、「あはれ、いかでか」と、思ふに堪へぬ気色、色に出でぬ。
この女、「悲し」と思ひて、様々にあるまじきよしをねんごろに言ひけれど、「親の心に従はぬは、限りなき罪とは知らずや。みづからの心にこそ、ふさはしからずは思ふとも、いかでか親の本意をば違ふべき」など、なほ言ひけるに、昔の男よりも生まれける父のことは愚かに思ゆ理に負けて、なまじひに出で立ちつつ、今の男のもとへ行く行くも、袖のしづく乾く間もなかりけり。
この女、「悲し」と思ひて、様々にあるまじきよしをねんごろに言ひけれど、「親の心に従はぬは、限りなき罪とは知らずや。みづからの心にこそ、ふさはしからずは思ふとも、いかでか親の本意をば違ふべき」など、なほ言ひけるに、昔の男よりも生まれける父のことは愚かに思ゆ理 に負けて、なまじひに出で立ちつつ、今の男のもとへ行く行くも、袖のしづく乾く間もなかりけり。
かくて後、いたくうち泣きて、女房に語りていはく、「我、昔の契を思ふに、時の間も堪へ忍ぶべき心地せず。さりながら、父に背ける罪を恐りて、なまじひにここまては来たれど、生きながら二人の人に契を結ぶべき理なければ、いまは限りの我が身とは知らずや」とて、
かくて後、いたくうち泣きて、女房に語りていはく、「我、昔の契を思ふに、時の間も堪へ忍ぶべき心地せず。さりながら、父に背 ける罪を恐りて、なまじひにここまては来たれど、生きながら二人の人に契を結ぶべき理 なければ、いまは限りの我が身とは知らずや」とて、
「『生きては、一つ床の交はり絶ゆることなく、死なば、また同じ塚の塵にもなりなん』と誓ひしことは、中有の旅の空までも覚えん。我もまた忘れめや」と言ひはつれば、らうたきまなじりより紅の涙流れ出づる気色、まことに匂ひ異なる八重紅梅の春の朝の雨にしほれて、よそほひ久しきにかよひたり。
「『生きては、一つ床の交はり絶ゆることなく、死なば、また同じ塚の塵にもなりなん』と誓ひしことは、中有の旅の空までも覚えん。我もまた忘れめや」と言ひはつれば、らうたきまなじりより紅 の涙流れ出づる気色、まことに匂ひ異なる八重紅梅 の春の朝 の雨にしほれて、よそほひ久しきにかよひたり。
かくて、しばしばかりあるに、身の有様をや思ひさだめけん、指より血を出だして、妻戸の上に書きていはく、「我がかばねをば、隠瑜が墓のかたはらに置け」と書き付くるに、人の気色のしければ、騒ぎて、はての文字二三をば書きさしつ。