昔、石季倫といふ人ありけり。


石季倫=石崇
よろづの宝に飽きて、世の貧しきを知らざりけり。



金谷の園のうちに、五百の舞姫を集めて、喜び楽しむこと、夜昼を分かず。
金谷のそののうちに、五百の舞姫まひひめを集めて、喜び楽しむこと、夜昼を分かず。


このうちに緑珠と聞こゆる舞姫なん、あまたの中にも優れたりければ、身に代ふばかり浅からず思へりけり。
このうちに緑珠と聞こゆる舞姫なん、あまたの中にも優れたりければ、身にふばかり浅からず思へりけり。

浅からず=底本、「ら」に「か歟」と傍書。諸本「あさからす」
かくて月日を送るに、時の政を執れる人孫秀、この緑珠がたぐひなきありさまを聞く度に、人伝ならざらんことを懇ろに思へりければ、堪へかねて、色に出でぬ。
かくて月日を送るに、時のまつりごとを執れる人孫秀、この緑珠がたぐひなきありさまを聞くたびに、人伝ひとづてならざらんことをねんごろに思へりければ、堪へかねて、色に出でぬ。


石季倫、「身をはかなきになすとも、心弱はからじ」と思へるを、この人、負けじ心のいちはやさに、兵を集め、勢ひをきはめて、心ざしをやぶる。
石季倫、「身をはかなきになすとも、心弱はからじ」と思へるを、この人、負けじ心のいちはやさに、つはものを集め、勢ひをきはめて、心ざしをやぶる。


この時、緑珠ははるかに高き楼の上に居たりけり。


緑珠=底本「緑季」。諸本により訂正
石季倫、かの人の手に従ひて行く行く、目を見合はせて、「誰ゆゑにかは、かくなりぬ」と言ひけるに、堪へ忍ぶへき心地せざりけりければ、楼の上より身を投げて死なんとするを、「身に勝る物やはある」と諫むる人、あまたありけれど、つひに聞かず。
石季倫、かの人の手に従ひて行く行く、目を見合はせて、「誰ゆゑにかは、かくなりぬ」と言ひけるに、堪へ忍ぶへき心地せざりけりければ、楼の上より身を投げて死なんとするを、「身にまさる物やはある」といさむる人、あまたありけれど、つひに聞かず。


後れ居て
歎かんよりは
時の間に
死なん命の
惜しからなくに
おくれゐて
なげかんよりは
ときのまに
しなんいのちの
をしからなくに


いとかく思ひとりけむ、心のありがたさも言ひ尽すべからず。