昔、張文成といふ人ありけり。



姿、ありさま、なまめかしく清げにて、色を好み、情け身に余れりければ、世にありとある女、さながら心強くは思えざりけり。



そのころ、時にあひ、花めかせ給ふ后おはしましけり。
そのころ、時にあひ、花めかせ給ふきさきおはしましけり。


あまたの御中に、よろづ優れてなむ聞こえさせ給ひければ、この夫、ひとやりならず物思ひに沈みて、生けるかひなくぞ思えける。



かかるままには、寝ても覚めても、このことの忍びがたきを、また言ひ合はする人だになかりけれど、芹を摘み地に臥して、年ごろになりぬれば、さるべきことにや、浅からぬ心の内をそらに知らせ給ひにける。
かかるままには、寝ても覚めても、このことの忍びがたきを、また言ひ合はする人だになかりけれど、せりを摘み地に臥して、年ごろになりぬれば、さるべきことにや、浅からぬ心の内をそらに知らせ給ひにける。


あはれにいみじくは思されながら、心に任せぬ御身のふるまひなれば、慰む方さらになくて明かし暮らすに、いかなるひまかありけむ、夢に夢見る御心地して、下紐解けさせ給ひにけり。
あはれにいみじくは思されながら、心に任せぬ御身のふるまひなれば、慰む方さらになくて明かし暮らすに、いかなるひまかありけむ、夢に夢見る御心地して、下紐したひも解けさせ給ひにけり。


血の涙、袖に包むべき心地もせざりけれど。



唐国の習ひにて、かやうの事世に聞こえぬれば、いみじき大臣・公卿なれども、たちどころに命を召さるる事なれば、またも逢ひ見給はず、后もあはれにたぐひなく思されながら、雲のかけ橋途絶えがちにて、文伝ふばかりの道だになければ、この男、七夕の年に一夜の契をさへ羨みて、人知れぬ涙のみぞ絶ゆる時なかりける。
唐国からくにの習ひにて、かやうの事世に聞こえぬれば、いみじき大臣・公卿なれども、たちどころに命を召さるる事なれば、またも逢ひ見給はず、后もあはれにたぐひなく思されながら、雲のかけ橋途絶とだえがちにて、文伝ふばかりの道だになければ、この男、七夕の年に一夜のちぎりをさへ羨みて、人知れぬ涙のみぞ絶ゆる時なかりける。

公卿=底本「しし」。諸本も同じだが、「公卿」を「志々」と誤ったものと見て訂正
思され=底本「おほそれ」。諸本により訂正
かかれども、あはただしく色に出だすことやなかりけん。



「物や思ふ」と問ふ人だになくて、年月を送るに、わりなくいみじく思ゆるよしの文を作りて、后に奉りける。



恋ひわぶる
空のみくづと
なりぬれば
逢瀬くやしき
物にぞありける
こひわぶる
そらのみくづと
なりぬれば
あふせくやしき
ものにぞありける


この文は『遊仙窟』と申して、我世にも伝はれり。



后、これを見給ふ度に、御身滅びぬべく思されけり。
后、これを見給ふたびに、御身滅びぬべく思されけり。


唐の高宗の后に則天皇后の御事なり。