今は昔、大斎院と申すは、村上の十の宮におはします。

В стародавние времена была десятая дочь государя Мураками, которую звали Великой жрицей.
校訂本文
大斎院=選子内親王
村上=村上天皇

Схожее в Кондзяку, Окагами
御門のあまたたびたび替らせ給へど、この斎院は動きなくておはしましけり。

Сменилось несколько государей, а эта жрица всё так же занимала своё место.

斎宮・斎院は仏経忌ませ給ふに、この斎院は仏経をさへあがめ申させ給ひて、朝ごとの御念誦欠かせ給はず。

Для жриц храмов Исэ и Камо обычно запрещено употреблять слова, связанные с буддами и слова сутр, но эта жрица читала сутры, и каждое утро без пропусков молилась.

三尺の阿弥陀仏に向かひ参らせさせ給ひて、法華経を明け暮れ読ませ給けりと、人申し伝へたり。

Люди передают, что она, обратившись лицом к изваянию будды Амида читала сутру Лотоса с утра до ночи.

賀茂祭の日、「一条の大路に、そこら集まりたる人、さながら共に仏にならん」と誓はせ給ひけるこそ、なほあさましく。



さて、この世の御栄華をととのへさせ給はぬかは。



御禊より始め、三日の作法、出車なとのめでたさは、御心ざま、御有さま、大方優にらうらうしくおはしましたるぞかし。



宇治殿の兵衛佐にて、御禊の御前せさせ給ひけるに、いと幼なくおはしませば、例は本院に帰らせ給ひて、人々に禄など賜はするを、これは河原より出でさせ給ひしかば、思ひかけぬ事にて、さる御心まうけもなかりければ、御前に召し有りて、御対面せさせ給ひて、奉りたりける御小袿をぞかづけ奉らせ給ひける。


宇治殿=藤原頼通
入道殿、聞かせ給ひて、「いとをかしくもし給へるかな。禄なからんも便なく、取りにやりたらむも程経ぬべければ、とりわき給へる様を見せ給へるなり。えせ物は、え思ひよらじかし」とぞ、殿は申させ給ひける。


入道殿=藤原道長
後一条院・後朱雀院、まだ宮たちにて幼なくおはしましけるとき、祭見せ奉らせ給ひけるに、御座敷の前過ぎさせ給ふほど、殿の御膝にふたところながら据ゑ奉らせ給ひて、「この宮たち見奉らせ給へ」と申させ給へば、御輿の帷子より赤色の御扇のつまをこそさし出ださせ給ひたりけれ。


後一条院=後一条天皇
後朱雀院=後朱雀天皇
殿をはじめまゐらせて、「なを心ばせめでたくおはする院なりや。



かかるしるしを見せさせ給はずは、いかでか見たてまつらせ給ふとも知らまし」とぞ、感じ奉らせ給ひける。



院より大殿に聞こえさせ給ひける



光出づる
あふひのかげを
見てしかば
年経にけるも
うれしかりけり
ひかりいづる
あふひのかげを
みてしかば
としへにけるも
うれしかりけり


御返

А в ответ:

もろかづら
ふた葉ながらも
君にかく
あふひや神の
しるしなるらん
もろかづら
ふたばながらも
きみにかく
あふひやかみの
しるしなるらん


めでたく、心にくく、をかしくおはしませば、上達部、殿上人、絶えずまゐり給へば、たゆみなく、うちとけずのみありければ、「斎院ばかりのところはなし」と、よにはづかしく心にくき事に申しつつ参り合ひたりけるに、世もむげに末になり院の御歳もいたく老させ給ひにたれば、今はことに参る人もなし。



人も参らねば、院の御有様もうちとけにたらん、若く盛りなりし人々も、みな老い失せもていぬらん、心にくからで参る人もなきに、後一条院御時に、雲林院不断の念仏は九月十日のほどなれば、殿上人、四五人ばかり、果ての夜、月のえもいはず明かきに、「念仏にあひに」とて、雲林院に行きて丑の時ばかりに帰るに、斎院の東の御門の細目に開きたれば、そのころの殿上人、蔵人は斎院の中もはかばかしく見ず、知らねば、「かかるついでに院の中、みそかに見む」といひて入りぬ。



夜の更けにたれば人影もせず。



東の塀の戸より入りて、東の対の北表の軒にみそかに居て見れば、御前の前栽、心にまかせて高く生ひ茂りたり。



「つくろふ人も無きにや」とあはれに見ゆ。



露は月の光に照らされてきらめきわたり、虫の声々様々に聞こゆ。



遣水の音のどやかに流れたり。



そのほど、つゆ訪ずる人なし。



船岡ののおろしの風、冷やかに吹きたれば、御前の御簾の少しうち揺ぐにつけて、薫物の香のえもいはず香ばしく、冷ややかに匂ひ出でたる香を、かくに御格子は下されたらんに、薫物の匂ひのはなやかなれば、「いかなるにかあらむ」と思ひて見やれば、風に吹かれて御几帳少し見ゆ。



御格子もいまだ下ろさぬなりけり。



「月御覧ずとて、おはしましけるままにや」とおもふほどに、奥深き箏の琴の、平調に調められたる音の、ほのかに聞こゆるに、「さは、かかる事も世にはあるなりけり」と、あさましく思ゆ。



よきほどに調められて、音もせずなりぬれば、「今は内裏へ帰り参りなん」と思ふほどに、人々の言ふやう「かくおかしくめでたき御有様を、『人聞きけり』とおぼしめされん料に知らればや」など言へば、「げに、さもある也」とて、寝殿の丑寅の隅の妻戸には、人の参りて女房にもの言ふ所也、住吉の姫君の物語のさうし、そこには立てられたる。



そなたに、人二人ばかり歩み寄りて気色ばめば、かねてより女房二人ばかり、物語して出でたりけり。



殿上人、女房、起きたらむとも知らぬに、かく居たれば、思ひかけず覚ゆ。



女房は夜より物語して、月の明かかりければ、「居あかさむ」と思ひてゐたるに、かく思ひかけぬ人の参りたれば、いみじくあはれに思ひたるに、気色ばかり奥の方に、碁石笥に碁石を入るる音す。



御前にも昔思し召し出でて、あはれに思しけむかし。



昔の殿上人は常に参りつつ、をかしき遊びなど琴・琵琶も常に弾きけるを、今はさやうの事する人も無ければ、参る人もなし。



たまたま参れど、さやうの事する人もなきを、口惜しく思し召されけるに、今宵の月の明かければ、昔思し出でられて、ものあはれによろずにながめさせ給ひて、御物語などして、御殿籠らざりけるに、夜いたう更けにたれば、物語しつる人々も、御前にやがてうたたねに寝にけり。



わが御めは覚めさせ給ひたりければ、御琴を手すさみに調めさせ給ひたりけるほどに、かく人々参りたれば、昔思えてなむあはれに思し召しける。



「この人々は、かやうのわざ少しす」と聞こしめしたるにやあらん、御琴・琵琶など出ださせ給へれば、わざとにはなくて、調めあはせつつ、もの一二ばかりづつ弾きて、夜明け方になりぬれば、内裏へ帰り参りぬ。



殿上にて、あはれにやさしく面白かりつるよしを語れば、参らぬ人はいみじく口惜しかりけり。



さて、その年の冬、をりさせ給ひて、室町なる所におはしまして、三井寺にて尼にならせ給ひにける後は、ひとへに御行ひをせさせ給ひつつ、終りいみじくめでたく、貴くてなむ失せさせ給ひにける。



「『この世はめでたく、心にくく、優にて過ぎさせ給へるに、後の世いかが』と思ひ参らせしに、ひたぶるに御行ひたゆみなくせさせ給ひて、御有様あらはに、極楽疑ひなく、めでたくて失せさせ給ひしかば、『一定極楽へ参らせ給ひぬらん』となむ、入道の中将よろこび給ひし」と語り給ひし。


入道の中将=源成信