今は昔、河原院は融の左大臣の作りたりける家なり。
Давным-давно, Кавара-но ин был домом, который построил левый министр Тору.
陸奥の塩竃のかたを作りて、潮の水を汲みて湛へたり。
陸奥の塩竃のかたを作りて、潮の水を汲みて湛へたり。
Сделал там похоже на местечко Сиогама, что в Митиноку, набрал морской воды и наполнил водоём.
さまざま、をかしきことを尽くして住み給ひける。
Ну и кроме того, разных интересностей добавил и жил потом там.
大臣失せて後、宇多の院には奉りたるなり。
大臣失せて後、宇多の院には奉りたるなり。
После того, как скончался министр, это место было передано государю Уда.
醍醐御門は御子にておはしましければ、たびたび行幸ありけり。
Когда государь Дайго был ещё ребёнком, он иногда туда приезжал.
まだ院の住ませ給ひけるをりに、夜中ばかりに、西の対の塗籠を開けて、そよめきて人の参るやうに思されければ、見させ給へば、昼の装束、うるはしくしたる人の、太刀はき、笏取りて、二間ばかり退きて、かしこまりて居たり。
まだ院の住ませ給ひけるをりに、夜中ばかりに、西の対の塗籠を開けて、そよめきて人の参るやうに思されければ、見させ給へば、昼の装束、うるはしくしたる人の、太刀はき、笏取りて、二間ばかり退きて、かしこまりて居たり。
「あれは誰そ」と、問はせ給へば、「ここの主に候ふ翁なり」と申す。
「あれは誰そ」と、問はせ給へば、「ここの主に候ふ翁なり」と申す。
「融の大臣か」と問はせ給へば、「しかに候ふ」と申す。
「融の大臣か」と問はせ給へば、「しかに候ふ」と申す。
「そは何ぞ」と仰せらるれば、「家なれば住み候ふに、おはしますが、かたじけなく、所狭く候ふなり。いかがつかまつるべからん」と申せば、
「それはいと異様のことなり。故大臣の子孫の、我に取らせたれはば住むにこそあれ、我、押し取りて居たらばこそあらめ、礼も知らず、いかにかくは恨むるぞ」と、高やかに仰せられければ、かい消つやうに失せぬ。
そのをりの人、「なほ、御門はかたことにおはしますものなり。ただ人はその大臣に会ひて、さやうにすくよかに言ひてむや」とぞ言ひける。
かくて、院失せさせ給ひて後、住む人も無くて荒れゆきけるを、貫之、土佐より上りて参りて見けるに、あはれに思えければ、ひとりごちける
君なくて
煙絶えにし
塩竈の
浦さびしくも
見えわたるかな
きみなくて
けぶりたえにし
しほがまの
うらさびしくも
みえわたるかな
その後、この院を寺になして、安法君といふ人ぞ住みける。
その後、この院を寺になして、安法君といふ人ぞ住みける。
После того, как это место стало храмом, здесь жил Або-но кими.
冬の夜、月明かかりけるに、ながめて詠める、
Зимней ночью, когда ярко светила луна, глядя на неё, сложил:
天の原
空さへ冴えや
わたるらん
氷と見ゆる
冬の夜の月
あまのはら
そらさへさえや
わたるらん
こほりとみゆる
ふゆのよのつき
昔の松の木の、対の西面に生ひたるを、そのころ、歌詠みども集まりて、安法君の房にて詠みける。
年経れば
河原に松は
生ひにけり
子の日しつへき
寝屋の上かな
としふれば
かはらにまつは
おひにけり
ねのひしつへき
ねやのうへかな
里人の
汲むだに今は
なかるべし
磐井の清水
草生ひにけり
さとひとの
くむだにいまは
なかるべし
いはゐのしみづ
くさおひにけり
行く末の
しるしばかりに
残るべき
松さへいたく
おひにけるかな
ゆくすゑの
しるしばかりに
のこるべき
まつさへいたく
おひにけるかな
その後、いよいよ荒れまさりて、松の木も一年の風に倒れにしかば、あはれにこそ。
その後、いよいよ荒れまさりて、松の木も一年の風に倒れにしかば、あはれにこそ。
После этого, всё больше и больше приходило в запустение, и сосны ветром повалило, какая печаль.