興福寺建立事

О постройке храма Кофукудзи
今昔物語集 巻12第21話
七大寺巡礼私記
今は昔、山階寺焼けぬ。

Давным-давно, храм в Ямасина сгорел.
山階寺=興福寺
この寺の仏は、丈六の釈迦仏におはします。
この寺の仏は、丈六の釈迦さか仏におはします。
Статуей будды этого храма была статуя Шакьямуни высотой в шесть сяку.

昔、鎌足の大臣の子孫のために造り給ひて、北山階に堂を建てて安置し給へり。
昔、鎌足の大臣おとどの子孫のために造り給ひて、北山階に堂を建てて安置し給へり。
Была она сделана для сына министра [Фудзивара] Каматари, в построенную в северном Ямасина молельню.
鎌足の大臣=藤原鎌足
されは山階寺とは所変れどもいふなり。

Потом его стали называть и как храм Ямасина.

天智天皇の、粟津の京に、御門おはしますあひだに造らるるなり。

Был он построен во времена государя Тэндзи, что правил из дворца в Авадзу.

その大臣の御子に、不比等の大臣の御時に、今の山階寺の所に造り移されたるなり。
その大臣おとどの御子に、不比等の大臣の御時に、今の山階寺の所に造り移されたるなり。
Во времена министра Фухито, что был сыном того министра, храм был перенесён туда, где и сейчас находится храм Ямасина.
不比等=藤原不比等
三百余歳になりて焼けしなり。

Больше трёхсот лет прошло, и он сгорел.

それを、当時の御世に造らせ給へるなり。

В то время государь повелел построить храм снова.

かの御寺の地は、異所よりは、地の体、亀の甲のやうに高ければ、井を掘れども水出でこず。
かの御寺の地は、こと所よりは、地のてい、亀の甲のやうに高ければ、井を掘れども水出でこず。
Место, где был тот храм, было похоже на панцирь черепахи и возвышалось над равниной высоко, копали там колодец, но воды не было.

されば、春日野より流るる水、寺の内に掘り入れて、よろづの房の内へも流し入れつつ、一寺の人は使ふなり。
されば、春日野より流るる水、寺の内に掘り入れて、よろづの房の内へも流し入れつつ、一寺ひとてらの人は使ふなり。


それに、この御堂の廻り廊・中門の北の講堂・西の西金堂・南の南円堂・東の東金堂・食堂・細殿・北室の上の階の僧坊・西室・東室・中室の大小房どもの壁塗るに、国々の夫、多く集まりて水を汲むに、二三町のほどなれば、汲みもやらねば、え塗りもやらで、ことの離るほどに、夕立の少ししけるに、講堂の西の方に、庭の少し窪みたるに、溜り水のただ少ししたるを、壁塗りの寄りて、その水を汲みつつ、「壁土に混ず」とて汲むに、尽きもせず水のあれば、あやしがりて少しばかり掻い掘りて、水底より水湧き出づ。
それに、この御堂の廻り廊・中門の北の講堂・西の西金堂・南の南円堂・ひんがしの東金堂・食堂・細殿・北室のかむしなの僧坊・西室・東室・中室の大小房どもの壁塗るに、国々の夫、多く集まりて水を汲むに、二三町のほどなれば、汲みもやらねば、え塗りもやらで、ことのさかるほどに、夕立の少ししけるに、講堂の西の方に、庭の少し窪みたるに、溜り水のただ少ししたるを、壁塗りの寄りて、その水を汲みつつ、「壁土に混ず」とて汲むに、尽きもせず水のあれば、あやしがりて少しばかり掻い掘りて、水底より水湧き出づ。

講堂=底本「かはたう」

...
прошёл ливень, и с западной стороны в саду в ямке собралась вода, стали черпать, но не смогли вычерпать, подкопали — а там источник бьёт.
稀有がりて、方二三尺、深さ一尺余ばかり掘りたれば、まことに出づる水なり。


Выкопали размерами прудик два на три сяку, глубиной — один сяку, вода и правда пошла.
それを、そこそばくの壁の料に汲むに、水、尽きもせず。



さて、その水をもちて、多くの壁を塗れば、遠く汲みしよりは、ことただなりになりぬれば、「さるべくて、出でくる水なり」と、御寺の僧どもも、石畳をして、屋を造り覆ひて、今に井にてあれば、稀有のことにする。



その一つなり。

Это первое из чудес.

また、供養の日の寅の時に、仏渡り給ふに、空つつ闇になり、曇りて星も見えねば、「何をしるしにてか、時をはからはすべきやうもなし」など言ふほどに、風も吹かぬに、御堂の上にあたりて、雲、方四五丈ばかり晴れて、七星きらきらと見え給ふ。



それをもちて時をはかる。

И так он вычислил время:

寅二つになりにけり。


Тигр-2
喜びながら、仏渡り給ひぬ。

Радуясь, будду перевезли.

空は星も見せで、すなはち、もとのやうに暗がりぬ。

И сразу же звёзды скрылись, и всё снова затянуло тучами.

これ稀有のことなり。

Это тоже необычно.

仏渡り給ひて、天蓋を吊るに、仏師定朝がいはく、「蓋は覆いなる物なれば、吊り金ども打ちつけん料に、組入の上に横ざまに、尺九寸の木の、長さ二丈五尺ならん、三筋渡すべかりけり。思ひ忘れて、兼ねて申さざりけり。いかがせんずる」。
仏渡り給ひて、天蓋を吊るに、仏師定朝てうがいはく、「蓋は覆いなる物なれば、吊り金ども打ちつけん料に、組入くみれの上に横ざまに、尺九寸の木の、長さ二丈五尺ならん、三筋渡すべかりけり。思ひ忘れて、兼ねて申さざりけり。いかがせんずる」。


「ただ今上げば、あなない結ふべし。また壁ども、所々こぼつべし」。



「さらば、多くの物ども損じて、今日の供養にしあはすべきにあらず。いかにせん」とののしりあひたるほどに、



大工吉忠、中の間造る長にていはく、「中の間の梁の上に、上げ過ぐして、尺九寸の木の三丈なるをこそ、三筋あげて候へ。
大工吉忠よしただ、中の間造るをさにていはく、「中の間のうつばりの上に、上げ過ぐして、尺九寸の木の三丈なるをこそ、三筋あげて候へ。


『勘当やある』とて、申さざりつるなり。



それも天蓋に吊らんほどに当りてや候ふらん」と言へば、「いみじきことかな」と言ひて、仏師を上にのぼせて、「いかやうにか、その木は置かれたる」と見すれば、仏師のぼりて、見て帰りていはく、



「つぶと当たりて候ふ。塵ばかりも直すべからず」と言へば、天蓋の吊り金ども通して、打ち、吊るに、つゆ筋違ひたることなし。
「つぶと当たりて候ふ。塵ばかりも直すべからず」と言へば、天蓋の吊り金ども通して、打ち、吊るに、つゆ筋違すじかひたることなし。


これまた稀有のことなり。

И это тоже необычно.

「世の末になりたれども、〓はことまことなれば、かくあらたに験はある物なりけり。
「世の末になりたれども、〓はことまことなれば、かくあらたにしるしはある物なりけり。

〓=底本「本」と傍注あり。添付画像参照

まいて、目に見えぬ御功徳、いかばかりならん」と、世の人も仰ぎ拝み奉るなりけり。
まいて、目に見えぬ御功徳、いかばかりならん」と、世の人もあふぎ拝み奉るなりけり。