今は昔、田舎人の徳ありけるが、一人娘、いみしくかなしくしける父母亡くなりて、頼りなく、ずちなくなりて、多かりし使ひ人も、みな行き散りて、心細くわびしくて過ぐるほどに、廿にも余りて、やうやう盛り過ぎ、懸想する人もあまたあれど、「かかるあやしの物は、ただうち見て捨てんをば、いかがせん」など思ひて過ぐるままに、親の作りまいらせたる観音のおはします御前に参りて、「助けさせ給へ」と申しつつ、そればかりをたのむことにはしける。



津の国の輪田といふ所に住みけるに、ただ一人、食ひ物もなくて、あさましくてゐたるに、泣く泣く観音の御前に参りて、身のことを申て寝たる夢に、



「まことにいとほしくおぼしめす。頼りになるべき物は、召しに遣はしつ」と見て、頼もしく思ひていたるほどに、人来て宿借る。



「とく居よ」とて貸しつ。



見れば、三十余ばかりなる五位の、いみじく徳ありげなり。



人多く具くして宿りぬ。



我は奥に入りて隠れ居たるに、物食ひなどして、家主がりもおこせおとなふに、人ありげもなかりければ、「頼りなげなる人にこそ」といとほしく思ひて、
我は奥に入りて隠れ居たるに、物食ひなどして、家主いゑあるじがりもおこせおとなふに、人ありげもなかりければ、「頼りなげなる人にこそ」といとほしく思ひて、


やをらのぞきければ、見目よき女房の、ただ一人居たりければ、「語らひてん」と思ひて、



「さのみこそは候へ。少し近く寄らせ給へ。何事も頼みまゐらせん」など、言ひ寄りて、その夜あひにけり。



さて、まことしう、いとほしくおぼえにければ、「妻にして、具してゐたる所へ来」など言ひて、明けぬれば、物どもしたためて、その日は居て、この女房に物言ひ語らひ、あるべきことども言ひ教へなどして、暁に奥の郡に沙汰すべきことありて過ぎぬ。
さて、まことしう、いとほしくおぼえにければ、「にして、具してゐたる所へ」など言ひて、明けぬれば、物どもしたためて、その日は居て、この女房に物言ひ語らひ、あるべきことども言ひ教へなどして、暁に奥の郡に沙汰すべきことありて過ぎぬ。


筑前の国より来たる人なりけり。


傍注に「ゑち歟」とある。文脈上、越前が正しい。
「四五日はあらんず」と言ひ置きて、「そのほど、心変らで待ち給へ」など、ねんごろに語らひて出づれば、



女、「言ふことまことならば、さてこそはあらめ。夢にも見えしかば」それを頼もしく思ひて、待つほどもはかなし。



さて、「来たらむに、馬の草などだになからんこそ心憂けれ。



あまりかく不合なるこそ、心にくくは思ふまじけれど、おのづからつゆのこともなき主こそあらめ、供の人などの思はんことよ」と思へど、かなふまじけれは、桟敷のあるよりさし出でて、心ゆかしに見れば、としごろ使ひし女ばらの、今は侮りて寄りつかぬが、大路井を汲みて立てるをや。
あまりかく不合ふがうなるこそ、心にくくは思ふまじけれど、おのづからつゆのこともなきしうこそあらめ、供の人などの思はんことよ」と思へど、かなふまじけれは、桟敷のあるよりさし出でて、心ゆかしに見れば、としごろ使ひし女ばらの、今はあなづりて寄りつかぬが、大路井おほぢゐを汲みて立てるをや。


「をのれ有けるは。など見えぬぞ。来かし」と言はれて、「まことにおろかにも思ひまいらせねど、え参らず。急ぎ候ひて」と言ひながら来たり。



「頼りなくて、かくてゐたるに、あはぬことなれど、今二三日のほど、馬の草の少し欲しき。くれてんや」と言へば、



「やすく候ふ事。まゐらせてん。頼り取らせ給ひて候ふか。さらば、それならぬこともしてまいらせてん。いかでか」なんど言ひて、草、期もなく持て来、食ひ物など、さまざま持て来て置きたり。
「やすく候ふ事。まゐらせてん。頼り取らせ給ひて候ふか。さらば、それならぬこともしてまいらせてん。いかでか」なんど言ひて、草、もなく持て、食ひ物など、さまざま持て来て置きたり。


うれしく思ひて、「やがて人来たらんに、おのれも居てみえよ。ただ一人あるに」など言へば、



「やすく候ふ事。宮仕ひし候ひなん」とて、あはれにし歩くほどに、男帰り来たり。



人もなく、ずちなげなりしに、物もあり、女も居たれば、従者どもも「よし」と見けり。
人もなく、ずちなげなりしに、物もあり、女も居たれば、従者ずさどもも「よし」と見けり。


さて、三日ばかりありて、出で立ちて具して行く。



この女、さまざま物ども多く持てくれば、「いかに、かくあまりはするぞ。かたはらいたく」と言はれて、



「月ごろ参らぬことだに候ふ。いかでか」とて、暁まで出だし立つ。
「月ごろ参らぬことだに候ふ。いかでか」とて、あかつきまで出だし立つ。


男も供の物どもも、「むげにかなはぬ人にはあらざりけり」と見けり。



「この女、かくあはれにあたるに、むげにすることのなき、いとほし」と思ひて、色けうらに、良き袴の新しき、残して持たりけるを、



「形見にせよ。また越前へは、もともうちつけには行くまじけれど、かくてもすべき方なければ、心も知らぬ人に具して往ぬる」など言ひて、取らするを取らず。



「旅にては見苦しくおはしまさむず。奉りてこそおはしまさめ。あるまじきこと」とて、さらに取らぬを、



「口惜しく、形見にも見よかし。同じ心にはなき」と言はれて取りつ。



世にあはれに言ひ契りて、「出づ」とて、「まこと、仏の御前に参りて暇申さん」とて、つとめて参りたれば、昨夜女に取らせし袴を御前に置かせ給て、少し御膝の上に引き懸けてこそ見えさせ給ひたりけれ。
世にあはれに言ひ契りて、「出づ」とて、「まこと、仏の御前に参りて暇申さん」とて、つとめて参りたれば、昨夜よべ女に取らせし袴を御前に置かせ給て、少し御膝の上に引き懸けてこそ見えさせ給ひたりけれ。


女に変じて日ごろ歩かせ給ひ、物ども賜びなどせさせ給ひける。



世にあさましく、悲しく、臥しまろび泣きても、あまりぞ有ける。



遠く離れまいらせて往なん悲しさを思へども、するかたなし。



あふなくおぼゆる方も、頼もしくなりぬれど、遠くなりまゐらするぞ、悲しかりける。



されば、親の作りまいらせたりける験に、かかる御徳を見て、めでたく越前へ行きて、楽しく、子など生み続けて、もとの家をば堂になして、観音にえもいはずつかうまつり、また、作りまゐらせなどして、いよいよ栄え、めでたく有けり。
されば、親の作りまいらせたりけるしるしに、かかる御徳を見て、めでたく越前へ行きて、楽しく、子など生み続けて、もとの家をば堂になして、観音にえもいはずつかうまつり、また、作りまゐらせなどして、いよいよ栄え、めでたく有けり。


「いづれの仏かはおろかにおはします」と申す中にも、観音の御有様、すぐれてめでたし。



ただ信を起こして、つかうまつるべし。