伊良縁野世恒給毘沙門下文鬼神田与給物事


今は昔、越前の国に伊良縁野世恒といふ者ありけり。

Давным-давно в провинции Этидзэн жил человек под именем Ираэ-но Ёцунэ.
伊良縁野=底本「伊曽へ野」もしくは「いそへ野」。標題「伊良縁野(いらえの)」に従う。なお、『今昔物語集』17ー47は「生江の世経」、『宇治拾遺物語』192は伊良縁世恒となっている。
もとはいと不合にて、あやしき者にてぞ有りける。
もとはいと不合ふがうにて、あやしき者にてぞ有りける。


とりわきて、つかうまつりける毘沙門に、物も食はで、物の欲しかりける日、「頼み奉りたる毘沙門、助け給へ」と言ひけるほどに、「門に、いとをかしげなる女房の、『家主に物言はむ』との給へあり」と言ひければ、「誰にかあらん」とて、出でて会ひたりければ、盛りたる物を一盛り、
とりわきて、つかうまつりける毘沙門びさもんに、物も食はで、物の欲しかりける日、「頼み奉りたる毘沙門、助け給へ」と言ひけるほどに、「かどに、いとをかしげなる女房の、『家主いへあるじに物言はむ』との給へあり」と言ひければ、「誰にかあらん」とて、出でて会ひたりければ、盛りたる物を一盛りひともり


「これ食ひ給へ。『物欲し』とありつるに」と、取らせたれば、喜びて取りて、持ちて入りたれば、ただ少しを食ひたるが、飽き満ちたる心地して、二・三日と物も欲しからざりければ、これを置きて、物欲しき折ごとに、少しづつ食ひてありけるほどに、月すぎて、この御物も失せにけり。



「いかがせんずる」とて、また念じ奉りければ、また、ありしやうに人の告げければ、初めにならひて惑ひ出でて見れば、このありし女房ののたまふやう、「いかにかは、しあへんとする」とて、下文を取らす。
「いかがせんずる」とて、また念じ奉りければ、また、ありしやうに人の告げければ、初めにならひて惑ひ出でて見れば、このありし女房ののたまふやう、「いかにかは、しあへんとする」とて、下文くだしぶみを取らす。


見れば、米二斗が下文なり。



「これは、いづくにまかりて受け取らんずるぞ」と申せば、これより谷・峰百町を越えて、中に高き峰あり。



その峰の上に立ちて『なりた』と呼ばば、



「物出で来なむ。会ひて受けよ」と言ひければ、そのままに行きて見ければ、まことに高き峰あり。



その峰の上にて「なりた」と呼びければ、高く恐しげに答へて出で来たる物あり。
その峰の上にて「なりた」と呼びければ、高く恐しげにいらへて出で来たる物あり。


見れば、額に角生ひて、目一つ付きたる物の、赤き犢鼻褌したる物の出で来て、ひざまづきてゐたり。
見れば、額に角生ひて、目一つ付きたる物の、赤き犢鼻褌たうさぎしたる物の出で来て、ひざまづきてゐたり。


「これ御下文なり。この米得させよ」と言へば、「さること候ふらん」とて、下文を見て、「これは二斗と候へども、『一斗奉れ』となん候ひつる」とて、一斗をぞ取らせたりける。



そのままに受け取りて、帰りて後より、その入れたる袋の米一斗、尽きせざりけり。



千万石取れども、ただ同じやうに、一斗は失せざりければ、国の守聞きて、この米を召して、「その袋、我にくれへ」と言ひければ、国の内にある物なれば、え否び聞こえで、米百石ぞ取らせたりける。



守のもとにも、いと取りつれば、また出で来ければ、「いみじき物まうけたり」とて持たりけるほどに、百石取り果てつれば、一斗の米も失せにけり。



ほいなくて返し取らせたりければ、世恒がもとにては、また出で来にけり。



かくて、えもいはぬ長者にてぞありける。

И так, стал он неслыханным богачом.