今は昔、和泉の国国分寺に鐘撞き法師ありけり。
今は昔、和泉の国国分寺こくぶでらに鐘撞き法師ありけり。
Давным-давно в провинции Идзуми в храме Кокубундзи был монах-звонарь.

鐘撞き歩きけるに、吉祥天のおはしましけるを、見奉るだに思ひかけ奉りて、かき抱き奉り、引き抓み奉り、口吸ふ真似などして月ごろ経るほどに、夢に見るやう、鐘撞きに上りたるに、例の事なれば、吉祥天をまさぐり奉るに、うちはたらきてのたまふやう、
鐘撞きありきけるに、吉祥天のおはしましけるを、見奉るだに思ひかけ奉りて、かき抱き奉り、引き抓み奉り、口吸ふ真似などして月ごろ経るほどに、夢に見るやう、鐘撞きに上りたるに、例の事なれば、吉祥天をまさぐり奉るに、うちはたらきてのたまふやう、


「わ法師の、月ごろ我を思ひかけて、かくする。いとあはれなり。我、汝が妻にならむ。その月のその日、播磨の印南野にかならず来会へ。そこにてぞ会はむずる」と見て覚めて、うれしきこと限りなし。
「わ法師の、月ごろ我を思ひかけて、かくする。いとあはれなり。我、汝がにならむ。その月のその日、播磨の印南野いなみのにかならず来会へ。そこにてぞ会はむずる」と見て覚めて、うれしきこと限りなし。


物仰せられつる御顔の、現のやうに面影に立ちて見えさせ給へば、「いつしか、その月日になれかし」とおぼゆ。
物仰せられつる御顔の、うつつのやうに面影に立ちて見えさせ給へば、「いつしか、その月日になれかし」とおぼゆ。


明け暮るるもしづ心なきほどに、からうじて待ちつけて、まづかしこにきををきて、印南野に、その日になりて、いつしかいつしかとし歩くに、えもいはぬ女房の、色々の衣着て、裾取り出で来たり。
明け暮るるもしづ心なきほどに、からうじて待ちつけて、まづかしこにきををきて、印南野に、その日になりて、いつしかいつしかとし歩くに、えもいはぬ女房の、色々のきぬ着て、裾取り出で来たり。


見付けて、「これか」と思へど、わななかれて、ふと、え寄り付かず。



女房、「いとあはれに来会ひたり」とて、「今は、まづ入るべき家、一つ造れ」。



「あはれ、いかにしてか造り候ふべき」と申せば、



「ことにもあらず。とく始めよ」とあるほどに、男の、ある一人出で来て、「かく野中には、いかなる人のおはしますぞ」と言へば、
「ことにもあらず。とく始めよ」とあるほどに、おのこの、ある一人出で来て、「かく野中には、いかなる人のおはしますぞ」と言へば、


「この辺に住まむと思ひて来たるに、家も無し。頼りも無ければ、いかがせまし」と言へば、「さてはことにも候はず。



己が候へば、何事に候ふとつかまつらん」と言へば、「まづ、おはしまし所造り候はん」とて、「人、召して参らむ」とて往ぬ。



その辺の宗とある者の、党多かるなりけり。
その辺のむねとある者の、党多かるなりけり。


告げ回したりければ集りて、桁一つ、おのおの持て続きて、持て来たり。



何もかも、降り湧くやうに出で来れば、このかく物する者とても、かつは己が物ども取り持て来。
何もかも、降り湧くやうに出で来れば、このかく物する者とても、かつは己が物ども取り持て


また物取らせなどして、ほどなく家めでたく造り、えもいはすしつらひて、据ゑ奉りつ。



近く参り寄りて臥したる心地、置き所なし。



仰せらるるやう、「我、今は汝か妻になりにたり。我を思はば異妻なせそ。ただ我一人のみをせよ」と仰せらるる。
仰せらるるやう、「我、今は汝か妻になりにたり。我を思はば異妻ことめなせそ。ただ我一人のみをせよ」と仰せらるる。


これは、ただあらん女の、少し思はしからんが言はんだに、従はざるべきにあらず。



まして、これは言ふ限りなし。



「いかにも、ただ仰せに従ひてこそ候はめ」と申せば、「いとよく言ひたり」とて、あはれとおぼしたり。



かくて、田を作れば、この一反はこと人の十町に向はりぬ。



よろづに乏しき物、つゆなし。



その郡の人、かなはぬなし。
そのこほりの人、かなはぬなし。


隣の郡の人も、聞きつつ、物乞ふに従ひつ取らす。



また、持て居る、馬・牛多かり。



かくしつつ、一国に満ちにたれば、国の守もやむごとなき物にして、言ひと言ふ事の聞かぬなし。
かくしつつ、一国ひとくにに満ちにたれば、国の守もやむごとなき物にして、言ひと言ふ事の聞かぬなし。


かく楽しくて、年ごろあるほどに、事の沙汰しに上の郡に行きて、日ごろあるほどに追従する物、「あはうの郡の某と申す者の女のいとよきをこそ召して、御足など打たせさせ給はめ」と言ひければ、「好き心はきたりとも、犯さばこそはあらめ」と思ひて、「よかんなり」と言ひければ、心うく装束かせて出で来にけり。
かく楽しくて、年ごろあるほどに、事の沙汰しに上の郡に行きて、日ごろあるほどに追従する物、「あはうの郡のなにがしと申す者のむすめのいとよきをこそ召して、御足など打たせさせ給はめ」と言ひければ、「好き心はきたりとも、犯さばこそはあらめ」と思ひて、「よかんなり」と言ひければ、心うく装束さうぞかせて出で来にけり。


近く呼び寄せて、足持たせなどしけるほどに、いかがありにけむ、親しくなりにけり。



思ふとならねど、日ごろありけるほど置きたりけり。



事の沙汰果てて、帰りたりけるに、御気色いと悪しげにて、「いかで、さばかり契りしことをば破るぞ」とて、むつからせ給ひて、



「今は我帰りなむ。ここにえあらじ」と仰せられければ、ことわり申し、なほ慕ひ申しけれど、「これ年ごろの物なり」とて、大きなりける桶に、白き物を二桶かき出だして賜びて、いづちともなくて失せ給ひにければ、悔い泣きしけれどもかひなし。
「今は我帰りなむ。ここにえあらじ」と仰せられければ、ことわり申し、なほ慕ひ申しけれど、「これ年ごろの物なり」とて、大きなりける桶に、白き物を二桶ふたをけかき出だして賜びて、いづちともなくて失せ給ひにければ、悔い泣きしけれどもかひなし。


この桶なりける物は、この法師の年ごろの淫欲といふ物を溜め置かせ給へりけるなりけり。



さて、後はいとどをのやうにもこそなけれど、いと貧しからぬ者にて、いとよくて、聖にてやみにけると、人の語りしなり。