今昔、讃岐の国□□の郡に、満農の池*とて大きなる池あり。
高野の大師*の、其の国の人を哀まむが為に、人を催て築給へる池也。
池の廻り遥に遠くて、堤高かりければ、更に池とは思えで、海などとぞ見えける。
其の池築て後、頽れずして久く有ければ、其の国の人、田を作るに旱魃する時なれども、多の田、此の池に助けられて有ければ、国の人、皆喜び合へる事限無し。
上より数の川共懸りたれば、池の内に水湛て絶る事無かりけり。
然れば、池の内に大きなる、小さき、多くの魚有けり。
此れを国の内の人、自然ら構て取る事有れども、魚し多く有ければ、池に魚満て期も無かりけり。
而る間、□□の□□と云ふ人、其の国の司として国に有けるに、其の国の者共も館の人も集て、物語などしける次でに、「哀れ、満農の池には、限無く多かる魚かな。三尺の鯉なども有らむ」など語けるを、守、伝へ聞て、「欲」と思ければ、「構て此の池の魚を取らばや」と思ふに、池遥かに深ければ、人下て網を置く事も能はず。
然れば為ける様、池の堤に大なる穴を通して、其より水を出して、水の落つる所に魚の入るべき物を構へ置て、水を出しければ、水、走り出るに随て、其の穴より多の魚共出ければ、期も無く取てけり。
然て、其の後、其の穴を塞けれども、水の出る勢強くて、更に否塞ぎ得ざりけり。
池には楲と云ふ物を立て、打樋を構て水をば出せばこそ、池は持つ事にては有るに、此れは堤を捿通してければ、暫く其の穴頽れて広く成ける程に、大きなる雨降て、池の上より流れ来る河共の水増りて、水、池に多く満ける程に、其の穴本として、堤突頽されにけり。
然れば、池の水、皆出て、其の国の人の家共・田畠など、皆損じにけり。
多の魚共は流れて出て、此彼にて皆人に取られにけり。
其の後は池けの水も少く有ける程に、漸く其の残たる池も皆失せて、今は其の池、跡形も無てぞ有なる。
此れを思ふに、此の守の欲心に依て失せたる池也けり。
然れば、此の守、此れに依て、何に罪量無からむかし。
然る止事無き権者の、「人を哀まむ」とて築給へる池を失ひたらむだに、量無き罪也。
其れに、此の池の頽るに依て、多の人の家共を損じ、多の田畠を失ひたる罪も、只此の守こそは負ふらめ。
何に況や、池の内に有る若干の魚共の取られたる罪も、誰人かは負はむと為る。
亦、国の人共も、于今至まで、其の守をぞ悪*み謗るなる。
其の池の堤などの形は、未だ失せで有なりとなむ、語り伝へたるとや。