其の国の国王、山に御行して、谷峯に人を入れて、貝を吹き皷を打て鹿を劫して、狩り出させて、興じ給ひけり。
片時も身を離たず傅給ければ、輿に乗せて具し給ひけり。
日の漸く傾く程に、此の鹿追ひに山に行たる者共、師子*の臥したる洞に入にけり。
師子を劫かしたりければ、師子、驚て、片山に立て、器量しく怖し気なる音を放て吠ゆ。
其の後、此の姫君の御輿を尋ねさするに、輿持も、皆山に捨てて逃げたる由を申す。
国王、此の由を聞き給て、歎き悲むで、哭き迷ひ給ふ事限無し。
かくて、有るべきにも非ねば、尋ね奉らむが為に、多く人を山へ遣すと云へども、恐ぢ怖れて、敢て行く人、一人もなし。
師子は、劫かされて、足を以て土を掻き、吠え喤て、走り廻て見るに、山の中に輿一つ有り。
帳の帷を食ひ壊て、内を見れば、玉光る女、一人乗りたり。
師子、此れを見て、喜て、掻き負て、本の栖の洞に将行ぬ。
姫君は更に物思えずして、生たるにも非ず、死たるにも非ずで御す。
漸く十歳に余る程に、心武く足の駿き事、人には似ず。
母の世を経て歎き愁へ給へる姿を見知て、父の師子の食物求めに去たる*間に、子、母に問て云く、「世を経て歎き給へる姿にて、常は哭き給ふは、心に思す事の有るか。祖子の契り有り。我れには隠給ふべからず」と。
暫く有て、哭々く云く、「我れは此れ、此の国の天皇の娘也」。
母に申さく、「若し、都に出むと思なば、父来給はぬ間に将奉らむ。父の御駿さも、我れ皆知れり。我れが駿さに等くは有とも、増る事非じ。然れば、都に将奉て、隠し居へ奉て、養ひ奉らむ。我れは、師子の子也と云へども、母の御方に寄て、人と生たり。速に都に将奉らむと思ふ也。疾く負れ給へ」と云へば、母は喜乍ら、子に負れぬ。
「逃て都に行にけり」と思て、恋悲むで、都の方へ出でて、吠え喤る。
此れを聞て、国の人、国王より始めて、皆物に当り、恐ぢ迷ふ事限無し。
此の事を定められて、宣旨を下さるる様、「此の師子の災*を止て、此の師子を殺したらむ者をば、此の国、半国を分て、知らしむべし」と。
其の時に、師子の子、此の宣旨を聞て、国王に申さしむる様、「師子を罸て奉て、其の賞を蒙らむ」と。
師子の子、此の宣旨を奉りて思はく、「父を殺さむ、限り無き罪なれども、我れ、半国の王と成て、人に有る母を養はむ」と思て、弓箭を以て、父の師子の許へ行く。
仰ざまに臥て、足を延べて、子の頭を舐り撫る程に、子、毒の箭を以て、師子の脇に射立つ。
国王、此れを見給て、驚き騒て、半国を分て給はむとして、先づ、殺しつる事の有様を問はるる。
其の時に、師子の子の思はく、「我れ、此の次でに、事の根元を申して、国王の御孫也けりと云ふ事を知られ奉らむ」と思て、母の宣ひし如くに、当初より今日に至るまでに事を申す。
国王、此の由を聞給て、「然らば、我が孫也けり」と知り給ぬ。
「先づ、宣旨の如くに、半国を分ち給ふべしと云ども、父を殺したる者を賞せば、我れも其の罪遁れ難かりなむ。亦、然りとて、其の賞を行はれずば、既に違約也。然れば、離れたる国を給ふべし」とて、一の国を給て、母も子も遣しつ。
其の国の名をば、「執師子国*」と云ふ也となむ、語り伝へたるとや。