今昔、震旦に中書の令として、岑の文本と言ふ人有けり。
幼少の時より、仏法を信じて、常に法花経の普門品を読誦す。
此の人、多の眷属と共に船に乗て、呉の江の中流を渡る間、俄に船壊れぬ。
忽に死なむ事を悲ぶ程、髣に聞けば、人有て云く、「只、速に仏を念ぜば、当に死なざる事を得てむ」と。
此の如き、三度云ふと聞くに、文本、浪に随て、涌き出でて、自然ら北の岸に付く事を得たり。
此の「仏を念じ奉れ」と教へつる人を尋ぬるに、更に教ふる人無し。
然れば、「偏に法花経の威力、観音の助け也」と知ぬ。
斎会畢て後、独り残り留て、文本に語て云く、「天下、既に乱れなむとす。但し、君、仏法を敬へるが故に、其の災に預らずして、遂に太平に値て、富貴に至るべき也」と云畢て、走り出でて去ぬ。
「此れ、奇異也」と思て、亦、恭敬供養し奉る事限無し。
亦、実に彼の僧の告げしに違ふ事無く、天下に乱出来ると云へども、文本、其の災に預からずして、太平に値て、富貴に至れり。
前には、江を渡るに、船壊れて水に入ると云ども、死る事無し。
後には、天下に乱出来ると云へども、其の災に預らずして、太平にして富貴を得る也。
然れば、人、専に仏法を信ずべしとなむ、語り伝へたるとや。