今昔、大日本国に行基菩薩と申す聖有けり。



和泉の国の大鳥の□□□□□□□*時物に裹まれて生れたりければ、父、此れを見て*、時にぞ、父母、此れを取て養ひける。


* 底本頭注「大鳥ノノ下一本大丞ノ下女或ノ八字アリ」
* 底本頭注「見テノ下脱字アラン」
漸く長大して幼童也ける時、隣の小児等・村の小童部と相共に仏法を讃歎する事を唱へけり。



先づ、馬牛を飼ふ童部、多く集り□□て*此れを聞く。


* 底本頭注「集リノ下一本欠字セズ」
馬牛の主、用有て人を遣て尋ね呼するに、使、行て此の讃歎の音を聞くに、極て貴くして、皆馬牛の事をば問はず讃歎するを、涙を流して此れを聞く。



此如くして、男・女・老ひたる・若き来集て、此れを聞く。



郷の刀禰等、此の事を聞て、「田をも作らしめずして、此如き由無き態為る者追む」と云て行ぬ。



寄て聞くに、云はむ方無く貴し。



然れば、泣て此れを聞く。



亦、郡の司、此の事を聞て、大に嗔て、「我れ行て追はむ」と云て聞くに、限無く貴ければ、亦泣て留ぬ。



亦、国の司、前には使を遣つつ追はしむるに、使毎に返来ずして、皆泣々く此れを聞く。



然れば、国の司、極て怪く成て、自ら行て聞くに、実に恐く貴き事限無し。



隣の国の人に至て、聞伝へつ来て此れを聞く。



此れに依りて、此の事を公に奏す。



然れば、天皇、召て此れを聞給ふに、極て貴き事限無し。



其の後、出家して、薬師寺の僧を成て、名を行基と云ふ。



法門を学ぶに、心に智り深くして、露許も悟得ざる事無し。



然れば、諸人に勝たり。



然る間、行基、慈悲の心深くして、人を哀ぶ事仏の如く、諸の国々修行して、本の国に返る間、一の池の辺を通るに、人多く集て、魚を捕り食ふ。



行基、其の前を過るに、若き男たる*、戯れて魚の膾を以て、行基に与へて、「是を食給ふべし」と云へば、行基、其の所に居て、此の膾を食給ひつ。


* 底本、「たる」の右に疑問符。
其の後に程も無く、口より吐き出すを見れば、膾、小魚と成て皆池に入ぬ。



此れを見て、驚き怖れて、止事無かりける聖人を、我等知らずして、軽め慢れる事を悔ひ恐けり。



此の如く、貴く止事無くて、天皇、此の人を敬て、帰依し給ふ事限無し。



然れば、一度に大僧正に成されぬ。



其の時に、元興寺の僧智光と云ふ人有り。



止事無き学生也。



心に思ふ様、「我は智深き老僧也。行基は智浅き小僧也。公、何ぞ我を棄て、彼を賞し給はむや」と、公を恨び奉て、河内国椙田寺は、□□□□□□□□□□□□□□□□□□*。


* 底本頭注「椙田寺ハ云々三宝絵詞鋤田寺ニユキテ籠居ヌ然間俄ニ病ヲウケテシヌ十日ト云ニ蘇生シテ云々ニ作ル」
其の後、智光、身に病を受て死ぬ。



房に□□□□□不ざる間、十日を経て蘇て、弟子等に語て云く、「我れ、閻羅王の使に捕はれて行し間、道に金を以て造れる宮殿有り。高く広くして、光り耀く事限無し。『是は何なる所ぞ』と、我を将行く使に問へば、答て云く、『是は行基菩薩の生まるべき所也』と。亦行ば、遠くて見るに、煙炎空に満て、猛に恐く見ゆる事限無し。亦、『彼は何ぞ』と問へば、使の云く、『彼は汝が堕つべき地獄也』と。使、我を将至り着ぬれば、閻羅王、我を呵して宣はく、『汝ぢ閻浮提日本国にして、行基菩薩を嫉み悪て謗れり。今、其の罪を試みむが為に召つる也』と。其の後、銅の柱を我に抱かしむ。肉解け骨融て、堪難き事限無し。其の罪畢て後、免返らされたる也」と云て、無き悲しむ。



其の後、智光、此の罪を謝せむが為に、行基菩薩の所に詣でむと為るに、行基、其の程、摂津国の難波の江の橋を造り、江を掘て船津を造り給ふ所に至る。



菩薩、空に其の心を知て、智光の来れるを見て、咲を含て見給ふ。



智光は杖に懸て、礼拝恭敬して、涙を流て罪を謝しけり。



此の行基菩薩は、前の世に、和泉国大鳥の郡に住ける人の娘にて御けり。



幼稚也*、祖父母是を悲み□□する事限無し。


* 底本、「也」の右に疑問符。
而るに、其の家に仕ふ下童有り。



庭の糞取棄てしむる者也。



名を真福田丸と云ふ。



此の童、心に智有て思はく、「我れ、受難き人身を得たりと云へども、下姓の身にして、勤る事無くば、豈に後の世に憑む所有む。然れば、大寺に行て法師と成て、仏の道を学ばむ」と思得て、先づ主に暇を請へば、主の云く、「汝は何ぞの暇を申すぞ」と。



童の云く、「修行に罷出むと思ふ本の心有り」と。



主の云く、「実の心有らば、速に免む」と云て免しつ。



「但し、年来仕つる童也。今、修行に出む剋に、水干袴着せて遣せ」と云て、忽に水干袴を調へしむるに、此の幼き娘有て、「此の童の修行に出づる料也。功徳の為也」と云て、此の片袴を継*てけり。


* 底本頭注「継ハ縫ノ誤カ」
童、此れを着て、元興寺に行て出家して、其の寺の僧を成ぬ。



名をば智光と云ふ。



法の道学ぶに、極て止事無き学生と成ぬ。



彼の主の幼かりし娘は、此の童出て後、幾も無て□□□□□□□□□。



益無て止ぬ。



其の後、其の娘、同国の同郡の□□□□□□而るに、菩薩、未だ若き少僧にて在ましける時、河内国の□□郡に法会を修する事有けり。



智光は止事無き老僧にて有けるを、其の講師とす。



元興寺より行て、其の講師として高座に登て、法を説く。



聞く人、皆心に染みて、貴ぶ事限無し。



説畢て、高座より下むと為るに、堂の後の片に論義を出す音有り。



見れば、頭青き少僧也。



講師、「何許の寺なれば、我れに対て論義をせむ為ならむ」と疑ひ思て見返たるに、論義を出す様、「真福田が修行に出し日、藤袴、我れこそは縫ひしか。片袴をば」と。



其の時に、講師、大に嗔て、少僧を罵て云く、「我れ、公私に仕へて年来を経るに、聊に恙無し。異様の田舎法師の論義をせむに、吉からぬ事也。況や、我れを罵る事、極て安からぬ事也」と云て、怒々る出ぬ。



少僧は打咲て逃て去りにけり。



少僧は行基菩薩也けり。



智光、然許の智者にては、罵ると咎むまじ。



暫く思廻すべき事也かし。



思ふに、其の罪も有らむ。



此の行基菩薩は、畿内の国に四十九所の寺を□□□□給ひ、悪き所をば道を造り、深き河には橋を亘し給ひけり。



文殊の化して生給へるとなむ語り伝へたるとや。