今昔、聖武天皇、東大寺を造り給て、先づ開眼供養し給ふに、婆羅門僧正と云ふ人、天竺より来り給へるを、行基菩薩、兼て其れを知て、其の人を勧めて、其れを講師として供養し給はむと為るに、「読師には誰人をか請ずべき」と思食し煩けるに、天皇の御夢に、止事無き人来て告て云く、「開眼供養の日の朝、寺の前に先づ来らむ者を以て、僧俗を撰ばず、貴賤を嫌はず、読師に請ずべき也」と告ぐと見て、夢悟め給ぬ。
其の後、天皇、此の事を深く信じ給て、其の日の朝、寺の前に使を遣して見しめ給ふに、一人の老翁、籮を荷て来れり。
使、此の老翁を引て、天皇の御前に将参て、「此れなむ最初に出来れる人」と申せば、天皇、「此の翁、定めて様有る者ならむ」と思し疑て、忽に翁に法服を着せしめて、「その供養の読師とせむ」と。
翁の申さく、「然れば、更に其の器に非ず。年来、鯖を行くを持行*□以て役として世を過す者也」。
然れども、天皇、此れを許し給はずして、既に其の時に云□□講師と並て高座に乗せつ。
既に供養畢ぬれば、講師、高座より下給ふに、此の読師は高座の上にして、掻消つ様に失せぬ。
其の時に、天皇、「然ればこそ、此れは夢の告有れば、只者には非ざりけり」と信じ給ひて、此の籮を見給へば、正しく鯖の入たりと見えつれども、花厳経八十巻にて御ます。
其の時に、天皇、泣々く礼拝して宣く、「我が願の誠に依て、仏の来り給へりける也」とて、弥よ信を発し給ふ事限無し。
其の後、天皇、此の開眼供養の日を以て、年毎に闕かさず此の花厳経を講じて、一日の法会を行ひ給ふ。
寺の内の僧等、年の内の営として、法服を調へて請僧たり。
其の長増る事無く、亦栄えずして、常に枯たる相にて有となむ語り伝へたるとや。