今昔、比叡の山の横川に、源信僧都と云ふ人有けり。



本大和国の葛城の下の郡の人也。



其の父をば卜部の正親と云けり。



道心は無けれども、心は正直也けり。



母は清原の氏也。



極て道心深かりけり。



女子は多有りと云へども、男子は無かりければ、其の郡に高尾寺と云ふ寺有り、寺に詣でて男子を生むべき事を祈り申けるに、夢に其の寺の住持の僧有て、一の玉を得しむと見て、即ち懐妊して男子を生ぜり。



其の男子と云ふは、源信僧都此れ也。



漸く勢長する間に、出家の心有て、父母に請て出家しつ。



其の後に仏の道を修行す。



彼の高尾寺に籠り居て、年三に斎戒を行ふに、夢に見る。



堂の中に蔵有り。



其の蔵の中に、様々の鏡共有り。



或は大き也。



或は小さし。



或は明らか也。



或は暗たり。



其の時に、一人の僧出来て、暗たる鏡を取て源信に与ふ。



源信、僧に語て云く、「此の鏡、小くして暗たり。我れ、何にかせむ。彼の大きにて明らかなる鏡を取て、源信に与よ」と。



僧の曰く*、「彼の大に明らかなる鏡は、汝が分には非ず。汝が分は此れ也。速に比叡の山の横川に持行て、磨瑩べき也」と云て与ふと見て、夢覚めぬ。


* 底本頭注「ヨト僧ノ曰クノ六字一本ニヨリテ補フ」
横川、何こと云ふ事を未だ知らずと云へども、偏に夢を憑て過る間に、遥に程を経て打忘れたる時に、事の縁有るに依て比叡の山に登る。



其の時に、横川の慈恵大僧正、此の源信を見て、本より知れる人の如く待ち受て、弟子として顕密の正教を教ふるに、天性聡敏にして、習ふに随て、明らかなる事限無し。



自宗・他宗の顕教を習ひ、真言の密教を受るに、深く其の心を得て、皆玄底を極たり。



亦、道心深くして、常に法花経を読誦す。



此如くして、年来山に有る間に、学生の思え高く聞えぬれば、前の一条の院の天皇、「源信止事無き者也」と聞食て、召出て公家に仕ふる間、僧都に成されぬ。



然れども、道心深きが故に、偏に名聞を離れて、官職を辞して、遂に横川に籠居ぬ。



其の後、静に法花経を誦し、念仏を唱へて、偏に後世菩提を祈る。



「一乗要決」と云ふ文を作て一切衆生皆成仏の心を顕し、「往生要集」と云ふを作て、往生極楽を願ふべき事を教へたり。



其の時に、夢の中に観音来給て、咲て金蓮花を授け給ふ。



毘沙門、天蓋を捧て傍に立給へりと見けり。



此如く、貴き事多し。



而る間、遂に老に臨て、身に重き病を受て、日来を経と云へども、法花経を読誦し、念仏を唱ふる事怠らず。



其の間、傍の房なる老僧の夢に、金色なる僧、空より下て、僧都に向て懃に語ふ。



僧都、亦臥乍ら此の僧と語ふと見て告げけり。



亦、或る人の夢には、百千万の蓮花、僧都の在ます近辺に生たり。



人有て、此の蓮花を見て、問て云く、「此れは何なる蓮花ぞ」と。



空に音有て、答て云く、「此れは妙音菩薩の現じ給ふ蓮花也。西に行くべき也」と見けり。



最後の時に臨て、院の内の止事無き学生并びに聖人達を集めて、告て云く、「今生の対面、只今許也。若し法文の中に疑ひ有る所有らば、其の義を出し給へ」と。



然れば、此の人々、法文の要義を問て、心の疑ふ所を散ず。



或は、僧都を惜て、涙を流して悲び合へる事限無し。



此の人々、皆去ぬる後に、慶祐阿闍梨と云ふ人、独り許を留め置て、密に語て云く、「年来の間、我れ造る所の善根を以て、偏に極楽に廻向して、上品下生に生れむと願ふに、此に忽に二人の天童来て、告て云く、『我等は此れ都率天の弥勒の御使也。聖人、偏に法花を持して深く一乗の理を悟れり。此の功徳を以て、兜率天に生るべし。然れば、我等、聖人を迎へむが為に来れる也』と。我れ、天童に答て云く、『我れ兜率天に生れて、慈尊を礼奉らむ、限無き善根也と云へども、我れ、年来願ふ所は、極楽世界に生れて阿弥陀仏を礼し奉らむと思ふ。然れば、慈氏尊、願くは力を加へ給て、我れを極楽世界に送り給へ。我れ、極楽世界にして弥勒を礼奉るべし。天童、速に返り給て、此の由を以て慈氏尊に申し給へ』と答へつれば、天童返ぬ」と語る。



慶祐阿闍梨、此れを聞て、貴び悲ぶ事限無し。



亦、僧都の云く、「近来、時々観音来り現じ給ふ」と語る。



慶祐阿闍梨、涙を流して答て云く、「疑無く極楽に生まれ給ふべし」と。



其の後、僧都、絶入ぬ。



其の時に、空に紫雲聳て音楽の音有り。



香ばしき香、室の内に満たり。



寛仁元年の六月十日の丑寅の時許の事也。



年七十六也。



実に此れ希有の事也となむ、語り伝へたるとや。