今昔、播磨の国飾磨*の郡、書写の山と云ふ所に、性空聖人と云ふ人有けり。


* 「飾」底本異体字「餝」
本京の人也。



従四位下橘の朝臣善根と云ひける人の子也。



母は源の氏。



其の母、諸の子を生むに、難産にして平らかならず。



而れば、此の聖人を懐妊せるに、流産の術を以て毒を服すと云へども、其の験無し。



遂に平かに生めり。



其の児、左の手を捲て生れたり。



父母、怪むで強に開て見れば、一の針を捲れり。



児、嬰の時、乳母此れを抱きて寝たるに、驚て児を見るに無し。



驚き騒て求るに、家の北の墻の辺に有り。



父母、此れを怪む。



幼稚の時より、生命を殺さず、人の中に交はらず。



只、静なる所に居て、仏法を信じて、出家の心有り。



然ども、父母、此れを許さず。



十歳に成るに、始めて師に付て、法花経八巻を受け習へり。



十七にして元服して、其の後、母に随て日向の国に至る。



遂に、本意有るに依て、二十六と云ふ年、出家して、霧島と云ふ所に籠て、心を発して日夜に法花経を読誦す。



而る間に、忽に食物絶て、幽なる庵に居たるに、戸の下に自然ら焼たる餅三枚有り。



此れを食て日来を経るに、飢の苦び無し。



而る間、霧島を去て、筑前の国背振の山に移り住ぬ。



卅九と云ふ年、法花経を空に思えぬ。



初めは山の中に人無くして、心を澄して経を読む間、十余歳許の児童等来て、同じ座に居て、共に経を読む。



亦、老僧の、形凡に非ざる来て、一枚の文を聖人に授く。



聖人、左の手を以て此れを取る。



老僧、耳に語て云く、「汝ぢ、法花の光に照らされて等覚に至べし」と云て失ぬ。



亦、後には、弟子等少く出来て*有る間、俄に十七八歳許の童子の、長短にて身太くて力強げなるが赤髪なる、何こよりと無□□□□□*「聖人に仕らむ」と云ふ。


* 底本頭注「少ク出ノ三字丹本等ニヨリテ補フ」
* 底本頭注「無ノ下一本来テ只此ノトアリ」
聖人、此れを置て仕ふに、木を切て運ぶ事、人四五人が所、安かに翔ふ。



道を行く事も、百町許の道をも、二三町の程行かむ様に。



即ち返り来る。



他の弟子等、此れを「極たる財也」と思ふに、聖人の云く、「此の童は眼見に極て怖ろし。我れ、更に好まず」と。



然れども、此如くして既に月来に成る間に、此の童よりも少し大なる童の本より仕る有り。



小事に依りて、此の童と戦ひ合ひて、此の今の童を罵れば、今の童、嗔て本の童の頭を手を以て打つ。



一拳打つに、即ち死ぬ。



其の時に、弟子等寄て抑へて面に水を灑ぐ程に、良久くして生還ぬ。



聖人、此れを見て云く、「然ればこそ、不用の童とは云ひつれ。吉く此れを知らずして讃め合へる也。然れば、此の童有てば、尚悪き事有なむ。速に出ね」と云へば、童、泣て云く、「更に出づべからず。出てば重き罪を蒙りなむ」と云て、辞ぶと云へども、聖人、強に追ひて出しつ。



其の時に、童、出るに泣きて云く、「君の『懃ろに仕れ』とて遣したれば参りたるを、強に追るれば、待受て必ず罪有らむとす」と云て、泣々く出づと見る程に、掻消つ様に失ぬ。



弟子等、此れを怪て、聖人に申して云く、「此れは何なる者の、此如くは申すぞ」と。



聖人の云く、「我れ、心に叶て輙く仕はるる者の無ければ、毘沙門天に『然らむ者一人給へ』と申ししに依て、実の人をば給はらで、眷属を給へる也。煩なるに依て、『久く有ては由無し』と思て返しつる也。但し、房の内に人恐れを成す事を至らしめじ。此の故を知らずして、戦ひ合て打殺さるる、極て愚か也」と。



其の後、聖人、背振の山を去て、播磨の国飾磨の郡の書写の山に移て、三間の庵室を造て住ぬ。



日夜に法花経を読誦するに、初めは音に読む。



後には訓に誦す。



舌に付て早きに依て也。



然か訓に誦すと云へども、其れも吉く功入て、人の四五枚読む程に、一部は誦し畢ぬ。



山野の禽獣馴れ睦て、去らずして、聖人、食を分て与ふ。



身に蟣虱近付かず。



全く瞋恚を発す事無し。



当国・隣国の老少道俗男女、皆□*帰依せずと云ふ事無し。


* 底本頭注「皆ノ下一本欠字セズ」
世靡き貴ぶ事限り無し。



間*、円融院の天皇、位を去り給て後、重く煩ひ給ふ事有り。


* 「而る間」か。
其の時の止事無く験有る僧共、皆参て祈り奉ると云へども、露其の験無し。



然れば、人々有て申して云く、「書写の山の性空聖人、年来の法花の持者として、験世に彼れに過る者有らじ。然れば、彼れを召して祈らしむべき也」と。



此れに依て、□□と云ふ兵物を召して、彼の山へ遣す。



「辞すと云ふとも、慥に召して将て来るべし」と。



然れば、院の召使一人を具して、□□*、聖人の乗るべき馬など引かしめて、怱て播磨の国へ下る。


* 底本頭注「具シテノ下一本扨性空トアリ
其の日、晩れて摂津の国の梶原寺の僧房に宿しぬ。



夜る、目打ち醒めて思ふに、「書写の聖人は、年来道心深き持経者也。若し僻みて参らざらむを、強に馬に抱き乗せむ事こそ、何なるべき事にか有らむ。極て恐れ有べき事かな」と思ひ臥たるに、上長押より鼠の走渡に、枕上に物の掻き落されたるを見れば、紙の破也。



取て火の光に当てて見れば、経の破の落給へる也けり。



其の文を読めば、法花経の陀羅尼品の偈に、「悩乱説法者。頭破作七分。」と云ふ所許破れ残り給へり。



此れを見るに、「何ぞ此しも落ち給へるらむ」と思ふに、悲くて、頭の毛太りて、怖ろしく無端く思ゆ。



夜曙ぬれば、然りとては仰せを承りぬ、只返るべきに非ねば、夜るを昼に成して行て、書写の山に登ぬ。



持経者の房に行き見れば、水浄き谷迫に、三間の萱屋を造り、一間は、昼る居る所なめり。



地火炉など塗たり。



次の間は、寝所なめり。



薦を懸け廻らかしたり。



次の間は、普賢を懸け奉て他の仏在さず。



行道の跡、板敷に窪みたり。



見るに清く貴き事限無し。



聖人、是を見て云く、「何事に依て此れる人ぞ」と。



答て云く、「一院の御使にて参れる也。其の故は、月来御悩有て、様々の御祈り有りと云へども、其の験無し。聖人許こそ憑もしく在ませば、必ず参り給ふべき由を奉はれり。『若し、参り給はずば、永く院に参るべからず』と仰せを蒙れる也。譬ひ『参らじ』と思すとも、我れを助けむが為めに参り給ふべき也。人を徒に成すは、罪有る事也」と、泣く許□気色□□□*云ふ。


* 気色ノ下一本ヲ以テトアリ
聖人、「然まで有るべき事にも非ず。参らむ事、糸安し。但し、此の山を出でじと仏に申したる事なれば、此の由を仏に暇申さむ」と云て、仏の御方に歩み入れば、□□□□*「此は令て逃なむと為るなめり」と思て、郎等共をば房の廻りに居へ廻らかして、「我が君、只我れを助くるぞと思して参給へ」と云へば、聖人、仏の御前に居て、金を打て申さく、「我れ大魔障に値たり。助け給へ、十羅刹」と音を挙て叫て、木蓮子の念珠の砕く許轢て、額の破る許額を突て、七八度許突き畢て、臥し丸び泣く事限無し。


* 底本頭注「入レバノ下一本使思ハクトアリ」
□□*、此れを見て思はく、「聖人、将参ざらむに依て、命は絶たれじ。流罪をこそ蒙むらめ。而るに、此の聖人を強に譖て将参てば、現世・後世、吉き事有らじ。然れば、只「此の房の当りを逃げなむ」と思て、郎等共を招き取て、馬に乗て鞭を打て逃ぬ。


* 底本頭注「無限シノ下一本使者トアリ」
十余町許坂を下る間に、院の下部文を捧て会たり。



取て披て見れば、「聖人迎ふる事有るべからず。御夢に召すべからざる由を御覧じたれば、仰せ遣す也。速に罷返べし」と書かれたり。



此れを見て、喜び思ふ事限無し。



愁て怱ぎ返り参て、梶原寺の事より始て、聖人の房の間の事、具に申すに、御夢を思し合せて、極て恐ぢ給ひけり。



其の後、京より、上中下の道俗、聖人に結縁せむが為に参り合へり。



花山の法皇、両度御幸有り。



次の度は、延源阿闍梨と云ふ、極たる絵師を具し給て、聖人の影像を写さしめ、亦、聖人の最後の有様を記しめ給ひけり。



形を写す程に地震有けり。



法皇、大きに恐れ給ふ。



其の時に聖人に云く、「此れ恐給ふべからず。此れ我が形を写せるに依て有る事也。亦、此れより後に形を写し畢らむ時に、亦有べし」と。



既に形を写し畢る時に、大きに地震有り。



其の時に、法皇、地に下て聖人を礼拝して返らせ給ひぬ。



其の後、亦、源心座主と云ふ人有り。



比叡の山の僧也。



其の人、供奉と云ひける時より、書写の聖人と得意也けり。



而るに、聖人の許より、源心供奉の許に消息を持来れり。



開て見れば、「年来、仏経を儲け奉れり。『貴房を以て供養せしめむ』と思ひつるに、自然ら障つつ、于今遂げず。而るに、万を闕て来給ふべし。其の願を遂ぐべき也」と。



源心、此れを見て、怱ぎ書写の山に行て、聖人の本意の如くに仏経を供養し奉りつ。



聖人、極て喜び貴ぶ。



亦、其の国の人、多く集り来て、此れを聞て貴ぶ事限無し。



畢ぬれば、様々の布施共を与ふ。



其の中に一寸許の針の□たるを、紙に裹て加へたり。



源心、此れを見て、頗る心得ず思ふ。



「針は此の国の物なれば、得しめ給ふなめり。而るに、只一つ針を得しめ給たるが、極て心得ず思ゆれば、若し故有る事にや有らむ。さはれ、此の事問ひ奉りてむ。若し聞くべき事にて有らむに、聞かざらむ後の悔ひ有なむ」と思て、源心、暇乞て、「出づ」とて、聖人に申さく、「此の針を給たるは、何に依てぞ」と。



聖人、答て云く、「此れ定めて怪しく思給つらむ。此の針は、母の胎より生れ出ける時に、左の手に捲て生れたりけるを、母の此如く申て得しめたりし也。其れを年来持て侍つるを、徒に棄てむも□□*に思えて奉る也」と云ふを聞くに、「吉くこそ問ひ聞てけれ。聞かずして止みなましかば、聖人の一生は知らざらまし」と、喜て返るに、摂津の国の程にて、人追て来て云く、「聖人は失給にき」と告ぐ。


* 底本頭注「棄テムモノ下一本無気ニトアリ」
長保四年と云ふ年の三月□日の事也けり。



兼て死の期を知て此如く有ける也けり。



死ぬる時には、室に入て、静に法花経を誦してぞ入滅しける。



後に源心供奉の云ひけるは、「世に法を説くべき僧多しと云へども、聖人、我れをしも最後の講師に呼びたるをなむ、我が後世は憑もしと思えて、前の世に何なる契を成したりけるにか有りけむと思ゆる也」とぞ、座主は常に語りけるとなむ、語り伝へたるとや。