而る間、堅固に道心発ければ、永く現世の名聞利養を棄て、偏に後世の仏果菩提を願ひけり。
然れば、本山を去て、忽に丹波の国船井の郡□棚波の滝と云ふ所に行て、其に籠り居て、法花経を誦し真言を満て、専に菩提を祈る。
此れを何より此れる人と知らずして、怪び思ふ程に、童子、阿闍梨に向て、微妙の音を挙て誦して云く、「我来聴法花。遂果四弘願。当従其口出。栴檀微妙香。」と誦して、暫く阿闍梨の法花経誦するを聞て、即ち見えず。
阿闍梨、奇異く思て、「何こへ行ぬるぞ」と思て求るに、更に無し。
遂に誰と知らざるに依て、「天童の下て、我れを讃むる也けり」と知て、涙を流して貴ぶ事限無し。
而るに、阿闍梨、父母の懃の言に依て、其の国に下向す。
国に有る間、威勢限無くして、国人頭を低て敬ふ事限無し。
爰に阿闍梨、心の内に思はく、「我れ、年来多の法花経を読誦し、法を修行して、必ず其の功徳無量ならむ。其れに、世に久く有らば、罪業を造て生死に輪廻せむ事、疑ひ有らじ。然れば、如かじ、疾く死て悪業を造らじ」と思て、必ず死ぬべき毒を尋て食はむと為るに、初は附子を食ふに死なず。
次には「和多利と云ふ茸、必ず死ぬる物也」と聞て、山より取り持来て、密に食つ。
其れにも尚死なねば、「此れ希有の事也。我れ、毒薬を食ふと云へども、法花経の力に依て死なぬ也」と思ふに、「刀杖不加。毒不能害」の文、思ひ合せられて、哀れに悲き事限無し。
其の後、夢に人来て、告て云く、「聖人の信力清浄也。吉く法花経を誦すべし」と。
亦、父母共に病を受て、病み悩む間、阿闍梨の夢に五色の鬼神集会して、□□□□*云く、退て冥途に行く程に、鬼神の云く、「阿闍梨をば免せ。此れは法花の持者也」と云て、免すと見て夢覚ぬ。
阿闍梨、此れを見て、涙を流して泣々く法花経を誦して、父母を蘇生せしむと祈る間、阿闍梨、夢に、法花経の第六巻空より飛び下り給ふ。
其の文を開て見れば、文に云く、「汝が法花経を誦して、父母を蘇生せしめむと祈るが故に、忽に父母の命を延べて、此の度は返し送る也。此れ、閻魔の御書也」と。
後世の菩提、疑ふべからずとなむ、語り伝へたるとや。