其の寺を成合と云ふ故を尋ぬれば、昔し、仏道を修行する貧き僧有て、其の寺に籠て行ける間に、其の寺、高き山にして、其の国の中にも、雪高く降り風嶮く吹く。
而る間、此の僧、粮絶て日来を経るに、物を食はずして死ぬべし。
暫*くこそ念じても居たれ、既に十日許にも成ぬれば、力無くして、起上るべき心地せず。
「只今過なば、遂に食物出来べし」と思はねば、心細き事限無し。
今は死なむ事を期して、「此の寺の観音を助給へ」と念じて申さく、「只一度、観音の御名を唱ふるそら、諸の願を満給なり。我れ、年来観音を憑み奉て、仏前にして餓死なむ事こそ悲しけれ。高き官位を求め、重き財宝を願はばこそ難からめ。只、今日食して、命を生く許の物を施し給へ」と念ずる間に、寺の戌亥の角の破たるより見出せば、狼に噉はれたる猪有り。
「此れは観音の与へ給ふなめり。食してむ」と思へども、年来仏を憑み奉て、今更に何でか此れを食せむ。
我れ、食に飢へて死なむと□□□□□□*肉村屠ふり食はむ。
況や、生類の肉を食ふ人は、仏の種を断て、悪道に堕つる道也。
此れを食する人をば、仏も菩薩も遠去り給ふ事なれば、返々す思ひ返せども、人の心の拙き事は、後世の苦びを思はずして、今日の飢への苦びに堪へずして、釼を抜て、猪の左右の腂の肉を屠り取て、鍋に入て煮て食しつ。
然れども、重罪を犯しつる事を泣き悲て居たる程に、雪も漸く消ぬれば、里の人、多く来る音を聞く。
其の人の云く、「此の寺に籠たりし僧は何が成りにけむ。雪高して、人通たる跡も無し。日来に成ぬれば、今は食物も失にけむ。人気も無きは、死にけるか」と口々に云ふを僧聞て、先づ、「此の猪を煮噉たるを、何で取り隠さむ」と思ふと云へども、程無して為べき方無し。
人々、「何にしてか日来過しつる」など云て、寺を廻ぐり見るに、鍋に檜の木を切り入れて、煮て食ひ散したり。
人々、此れを見て云く、「聖り、食に飢たりと云ひ乍ら、何なる人か木をば煮食ふ」と云て哀れがる程に、此の人々、仏を見奉れば、仏の左右の御腂を断切り取たり。
「此れは僧の切り食ひたる也けり」と奇異く思て云く、「聖り、同じ木を食ならば、寺の柱をも切食はむ。何ぞ仏の御身を壊り奉る」と云ふに、僧、驚て仏を見奉るに、人々の云ふが如く、左右の御腂を切り取たり。
其の時に思はく、「然らば、彼の煮て食つる猪は、観音の我を助けむが為に、猪に成り給ひけるにこそ有けれ」と思ふに、貴く悲くて、人々に向て、事の有様を語れば、此れを聞く者、皆涙を流して悲び貴ぶ事限無し。
其の時に、仏前にして、観音に向ひ奉て、白して言さく、「若し、此の事、観音の示し給ふ所ならば、本の如くに、□□□申す時に、皆人見る前へに、其の左右の腂、本の如く成□□□□。人、皆涙を流して□泣悲ずと云ふ□□□□□□□、此の寺を成合と云ふ也けり。
「心有らむ人は、必ず詣でて礼奉るべき也」となむ語り伝へたるとや。