今昔、丹波の国桑田の郡に住ける郡司、年ごろ宿願有るに依て、「観音の像を造奉らむ」と思て、京に上て一人の仏師を語ひて、其の料物を与へて懃に語ふ。
此の仏師の、心に慈悲有て、仏を造て世を渡ると云へども、幼の時より観音品を持て、必ず日毎に卅三巻を誦しけり。
亦、月毎の十八日には、持斎して、懃に観音に仕りけり。
而るに、此の仏師、郡司の語ひを請て後、三月許を経る間に、郡司思係けざる程に、此の観音極て美麗に造り奉て、仏師、具して郡司が家に将奉たり。
此の如くの物は、料物を請取たりと云へども、約を違へて久く程を経る事常の事也。
而るに、思係けず、此く疾く造奉れるに合せて、仏を思ひの如く美麗に造て、将奉れば、郡司、限無く喜て、「此の仏師に何なる禄を与へむ」と思ふに、身不合にして与ふべき物無し。
諸の人、此の馬を見て欲がると云へども、郡司、此れを限無き財と思て、年来持たるに、此の仏師の喜さに、「然は、此れを与へてむ」と思て、自ら引出して与つ。
仏師、極て喜て、鞍を置て乗て、本乗たりつる馬をば引かせて、郡司が家を出でて、京に上ぬ。
此の馬をば、居る傍に立てて飼ひつるに、其の厩に草など食ひ散したるを見るに、此の郡の司の、恋しく悲く思ひて、忽に渡しつる事、悔しき事限無し。
燋り糙む様に□□□□□□□□思へども、更に思ひ止まずして、遂に親し□□□□て云く、「□□□□□□徳の為に此の馬を宛つれども、更に為□□惜□□□□我を思はば、此の馬を取返て来なむや。盗人の様を造て、仏師を射殺して、必ず取て来れ」と。
郎等、「安き事也」と云て、弓箭を帯して、馬に乗て、走らせて行きぬ。
郎等は近き道より前立て、篠村と云ふ所に行て、栗林の中に待立てり。
郎等、「心踈き態をもせむと為るかな」と思へども、憑みを係けたりし主の云ふ事、背き難ければ、弓に疾雁箭を番て、向ひ様に走らせて、仏師に押し向けて、弓を強く引て、四五丈許の程にて射むには、何にしにかは放さむ。
馬は放れて走るを、追ひ廻して、捕へて返て、主の家に将行ぬ。
其の後、日来を経るに、仏師の許より尋る事も無ければ、「怪し」と思て、此の郎等を京へ上げて、仏師の家に遣る。
「『何事か御する。久く案内を申さねば、不審くなむ』と云へ」と教へて遣たれば、郎等、京に上て、然る気無くて、仏師の家に這入たれば、其の家は引入れて造たるに、前に梅木の有るに、此の馬を繋て、人二人を以て撫させて、草飼はせて、仏師は延に見居たり。
射殺してし仏師も有り、取返してし馬も有れば、「若し僻目か」と思て守り立てるに、仏師も鮮に有り、馬も違はねば、肝迷ひ心騒ぎて、「怖ろし」と思ふと云へども、郡司の言を語る。
仏師の云く、「何事も侍らず。此の馬を万の人の欲がりて、買はむと申せども、馬の極たる一物なれば、売らずして持て侍る也」と。
郎等、尚、「奇異」と思て、此の事を疾く主に聞せむ為に、走るが如くにして返り下ぬ。
郡司も此れを聞て、「奇異」と思て、厩に行て見るに、忽に此の馬見えず。
郡司、恐ぢ怖れて、観音の御前に参て、「此の事、懺悔せむ」と思て、観音を見奉れば、観音の御胸に箭を射立奉て、血流れたり。
即ち、彼の郎等を呼て、此れを見せて、共に五体を地に投て、音を挙て泣き悲む事限無し。
仏師の慈悲有るを以て、観音代に箭を負ひ給ふ事、本の誓に違はねば、貴く悲き事也。
心有らむ人は必ず参て、礼み奉べき観音に在すとなむ、語り伝へたるとや。