今昔、陸奥国に住ける男、年来鷹の子を下して、要にする人に与へて、其の直を得て、世を渡りけり。
鷹の巣を食たる所を見置て、年来下けるに、母鷹、此の事を侘びけるにや有けむ、本の所に巣を食はずして、人の通ふべき様も無き所を求めて、巣を食ひて卵を生みつ。
巌の屏風を立たる様なる崎に、下大海の底ひも知らぬ荒磯にて有り。
其れに、遥に下て、生たる木の大海に差覆ひたる末に生てけり。
此の鷹取の男、鷹の子を下すべき時に成にければ、例巣食ふ所を行て見るに、何しにかは有らむずる。
男、此れを見て、歎き悲て、外を走り求むるに更に無ければ、「母の鷹の死にけるにや。亦、外に巣を食たるにや」と思て、日来を経て山々峰々を求め行くに、遂に此の巣の所を幽に見付て、喜び乍ら寄て見るに、更に人の通ふべき所に非ず。
鷹の巣を見付たりと云へども、更に力及ばずして、家に返て、世を渡らむ事の絶ぬるを歎く。
「我れ、常に鷹の子を取て、国の人に与へて、其の直を得て、年の内に貯へとしては年来を経つるに、今年、既に鷹の巣を然々の所に生たるに依て、鷹の子を取る術絶ぬ」と歎くに、隣の男の云く、「人の構へは、自然ら取り得る事も有なむ」と云て、彼の巣の所に二人相ひ具して行きぬ。
其の所を見て教ふる様、「巌の上に大なる楴を打立てて、其の楴に百余尋の縄を結ひ付て、其の縄の末に大なる籠を付て、其の籠に乗て、巣の所に下て取るべき也」と。
鷹取の男、此れを聞て、喜て家に返て、籠・縄・楴を調へ儲て、二人相具して、巣の所に行ぬ。
支度の如く、楴を打立てて、縄を付て、籠を結ひ付て、鷹取、其の籠に乗て、隣の男、縄を取て、漸く下す。
鷹取、籠より下て、巣の傍に居て、先づ鷹の子を取て、翼を結て、籠に入れて、先づ上げつ。
我は留て、亦下む度昇らむと為る間、隣の男、籠を引上げて鷹の子を取て、亦籠を下げずして、鷹取を棄てて家に返ぬ。
鷹取が家に行て、妻子に語て云く、「汝が夫は、籠に乗せて然々か下しつる程に、縄切れて海の中に落て死ぬ」」と。
鷹取は巣の傍に居て、籠を待て昇らむとして、「今や下す、下す」と待に、籠を下さずして日来を経ぬ。
狭して少し窪める巌に居て、塵許も身を動さば、遥に海に落入なむとす。
然れば、只死なむ事を待て有るに、年来、此く罪を造ると云へども、毎月十八日に精進にして観音品を読奉けり。
爰に思はく、「我れ、年来、飛び翔ける鷹の子を取て、足に緒を付て繋ぎ居へて、放たずして鳥を捕らしむ。此の罪に依て現報を得て、忽に死なむとす。願くは大悲観音、年来恃奉るに依て、此の世は今は此くて止みぬ、後生に三途に堕ちずして、必ず浄土に迎へ給へ」と念ずる程に、大なる毒蛇、眼は鋺の如くにして、舌甞をして大海より出でて、巌喬より昇り来て、鷹取を呑まむとす。
鷹取の思はく、「我れ、蛇の為に呑まれむよりは、海に落入て死なむ」と思て、刀を抜て、蛇の我に懸る頭に突き立つ。
蛇、驚て昇るに、鷹取、蛇に乗て、自然ら岸の上に昇ぬ。
「観音の蛇と変じて、我を助け給ふ也けり」と知て、泣々礼拝して、家に返る。
日来物食はずして、餓へ羸れて、漸く歩て家に返て門を見れば、今日七日に当て、物忌の札を立て門閉たり。
門を叩き開て入たれば、妻子、涙を流して、先づ返来れる事を喜ぶ。
而る間、十八日に成て、沐浴精進にして、観音品を読奉らむが為に経筥を開て見るに、経の軸に刀立てり。
「観音品の蛇と成て、我を助け給ひける」と思ふに、貴く悲き事限無し。
世の人、此れを聞て、専に心を至して念じ奉るべしとなむ、語り伝へたるとや。