此の貧女の、寺の観音の御前に詣でて、心を至して申さく、「願くは観音、慈悲を垂れ給て、我れに聊の便を施し給へ」と祈り請り。
而る間、大炊の天皇*の御代に、天平宝字七年と云ふ年の十月一日の夕暮方に、慮ざる外に、其の貧女の妹来て、一の皮櫃を持来て、「彼の*姉に寄して返去」とて、故に足に馬の屎を塗付て、姉に語て云く、「我れ、今来て取らむ程、此れを寄し置く也」と云て去ぬ。
其の後、姉有て、妹の来らむを待て、「此の皮櫃を取せむ」と思て待つに、久く見えず。
然れば、待煩て、姉、妹の許に行て、妹に此の事を問ふに、妹、知らざる由を答ふ。
姉、「奇異也」と思て、皮櫃を開て見るに、銭百貫有り。
姉、此の事を思ふに、「妹、知らずと云ふ。若し、此れ彼の穂積寺の千手観音の我れを助けむが為に、妹の形と成て、銭を持来て施し給へるか」と思て、忽に其の寺に詣でて、観音を見奉れば、観音の御足に馬の屎を塗付たり。
姉、此れを見て、泣き悲て、「実に観音の我れを助けて、施し給ひける」と知ぬ。
其の後、三年を経て聞けば、「千手院に納め置たる料の銭百貫、倉に付たる封も替らずして失にたり」と云ひ合たり。
其の時に、姉、「彼の皮櫃の銭は、彼の寺の銭也けり」と思ふに、弥よ観音の霊験を深く信じて、涙を流して貴ぶ事限無し。
朝暮に香を焼き、灯を燃して、礼拝恭敬し奉る間、貧窮の愁を止て、富貴の楽びを得て、思ひの如く数の子を養ひけり。
必ず詣でて礼拝奉るべき観音に在すとなむ、語り伝へたるとや。