而るに、聖武天皇の御代に、彼の銅の像六体、盗人の為に取られぬ。
其の後、程を経て、其の郡の駅の西の方に小さき池け有り。
其の池の辺に、牛飼ふ童部数有て有るに、池の中に小き木、指出たり。
童部、此れを見て、礫塊拾て鵄を打つに、鵄、去らずして、尚居たり。
然れば、童部、投げ打つ事を止て、池に下て鵄を捕へむと為るに、鵄、忽に失ぬ。
童部、怪むで、此れを取て、牽き上るに、観音の銅の像にて在ます。
彼の岡本寺の尼等、此事を伝へ聞て見るに、其の寺の観音に在す。
尼等、観音を衛繞て、泣き悲むで、「我等、失ひ奉て、年来求め奉る観音、何なる事有てか賊難に値給へる」と云て、忽に輿*を造て、入れ奉て、本の岡本寺に渡し奉て、安置して、礼拝し奉けり。
而るに、其の辺の道俗男女集り来て、礼拝恭敬する事限無し。
此れを思ふに、「彼の池に有けむ鵄は、実の鵄には非じ。観音の変じて、鵄と成て示し給ひける也」と思ふが、貴く悲き也。
仏は人の心に随ひて霊験を施し給ふ事なれば、盗人の為に取られ給ふも、此の如く霊験を現じ給はむが為也。
皆此れを知て、心を至して観音に仕ふべしとなむ、語り伝へたるとや。