今昔、聖武天皇の御代に、御手代の東人と云ふ人有けり。
殊に観音を念じ奉て申さく、「南無、銅鉄万貫*、白米万石、好女多得」と。
其の娘、未だ嫁がずして、広瀬の家に有るに、忽ちに身に病を受たり。
然れば、父の卿、歎き悲むで、諸の人に此の事を問て、此の病を祈らしむが為に僧を求るに、其の使、東人に値て、東人を請ず。
其の後、父母、此の事を聞て、嗔て東人を捕へて、楼樔に籠て居へつ。
而るに、女、愛の心に堪へずして、東人を恋ひ悲むで、忍て其の辺を離れず。
然れば、東人を預かれる者、女人の心を知て、東人を免して、女と通はしむ。
此の如く為る間、父母も娘の心を知て、遂に免して夫妻と成しつ。
死ぬる尅に、妹に語て云く、「我れ、今死なむとす。但し、思ふ事一つ有り。汝ぢ、許すや否や」と。
姉の云く、「我れ、東人が事を思ふに、永く忘れず。然れば、我れ、死なむ後、汝ぢ、東人が妻として、家の内を守らしめむと思ふ」と。
父母、姉の遺言に随ひて、妹を東人に与へて、家の財を授く。
此れ、修行の験力、観音の威徳とぞ、見聞く人、讃め貴びけるとなむ語り伝へたるとや。