今昔、太宰の大弐□□の□□*と云ふ人有けり。


* 底本頭注「大弐ノ下霊験記小野ノ好古トアリ」
子共数有ける中に、弟子なる男有けり。



年未だ若くして僅に廿許也。



形ち美麗にして心賢く思量有けり。



武勇の家に非ずと云へども、力など有て、極て猛かりけり。



父母、此れを愛するに依て、相具して鎮西に有るに、其の時の小卿として、筑前の守□□□□*と云ふ人有けり。


* 底本頭注「守ノ下霊験記藤原永保トアリ」
其の娘有り。



形ち端厳して、心厳し。



年、未だ廿に満たず。



父母、此れを寵する故に、相具して□国に有り。



而る間、大弐、「我が男子に此の小卿の娘を合せよ」と切に云にければ、守、大卿の云ふ事背き難きに依て、吉日を以て合せてけり。



其の後、夫妻として、契り深くして相ひ思て有けるに、此の男、本より官の望有て、京に上せむと為るに、男、此の妻を片時去り難く思て、「相具して上らむ」と云へば、云ふに随て、相具して上る。



「船の道は定め無し」とて、歩より上るに、怱ぐ道にて、郎等共撰び勝て廿人許なむ有ける。



歩の人多く、物負たる馬共数有り。



夜を昼に成して上る間に、播磨の国印南野を過るに、申打下る程に、十二月の比にて、風打吹き雪など少し降る。



而る間、北の山の方より、馬に乗たる法師出来たり。



近く寄来て、馬より下るるを見れば、年五十余許にて、太り宿徳気なる法師の、赤色の織物のひたたれ、紫の指貫を着て、藁沓を履て、塗たる鞭を持て、早る馬にラ天*の鞍置て乗たり。


* 底本頭注「ラ天ハ螺鈿ナラン」
畏まりて云く、「己れは筑前の守殿の、年来仕り人也。此の北渡になむ住侍べるが、自然ら『御京上有り』と承はりて、『御馬の足も息させ給はむが為に、怪の宿に入らせ給へ』とて、参つる也」と云ふ様ま、極て便々し。



其の時に郎等も皆下ぬ。



主人も馬を引て云く、「大切なる事有て、夜を昼にて上れば、此く志有ければ、年返りて下らむに、必ず参り来む」と。



法師、強に留れば、引放ち難き程に、日も山の葉近く成ぬ。



郎等なども、「此く強に申さるるに」など云へば、「然らば」とて行けば、法師、喜て前に打て行く。



「只此ぞ」と云つれども、三四十町許行て、山辺に築垣高くして、屋共数有る所也。



打入て寝殿と思しき南面に居ぬ。



階々の儲共有り。



遥に去たる所に侍有り。



饗共、器量しく、馬共に草食はせ、騒ぐ事限無し。



我が有る所には、女一両人なむ有る。



此くて、装束など解て臥しぬ。



前*の物など器量しく、酒など有れども、苦さに悩しくて見入れず。


* 底本頭注「前ハ膳ノ借字ナラン」
前なる女房など、皆、物食ひ酒など飲て臥ぬめり。



我れ夫妻は、苦さに寝られで、物語などして、哀なる契めして、「此る旅の空にて、何なるべきにか、怪しく心細く思ゆるかな」と云ふ程に、夜、漸く深く成ぬ。



而る間、奥の方より、人の足音して来る。



「怪し」と思ふ程に、近く来て、枕上なる遣戸を引開く。



男、「誰ぞ」と思て、起上る髪を取て、只引きに引出す。



力有る人なれども、俄の事なれば、我にも非で引かるる程に、枕なる刀をだに取敢へず。



蔀の本を放て、男を押し出して云く、「金尾丸有るか。例の事、吉く仕れ」と。



怖し気なる音にて、「候ふ」と答て、我が立頸を取て、引き持行く。



早く、片角に築垣を築廻して、脇戸をして、其の内に深さ三丈許、井の様なる穴を掘て、底に竹の鋭杭を隙無く立てて、年来、此の如く上り下る人を謀り入れて、一日一夜死たるが如く酔ふ酒を構て、其れを飲せて、主をば此の穴に突き入れて、従者共は酔死たる、物を剥ぎ取り、殺すべきをば殺し、生くべきをば生けて仕ひける也。



其れを知らずして来たる也けり。



然て、金尾丸、我れを引て、其の穴の許に引き持て行て、脇戸を開て、金尾丸、穴の方に立て引き入むと為るを、少し小坂なるに、去様に金尾丸を強く突けば、逆に穴に落入ぬれば、脇戸を閉て、延の下に曲り居て思ふに、為む方無し。



眷属共を起しに行かむと為れば、皆酔ひ死たるに、只壍を隔てて橋を引てけり。



和ら板敷の下に入て聞けば、法師、我が妻の許に来て云ふなる様、「転と思すらむ。然れども、昼牟子を風の吹き開たりつるより見奉つるに、更に物思えず。罪免し給へ」とて、打寝て臥しぬ。



然れども、女の云く、「我れ、宿願有て百日の精進をなむして上つるに、今只三日有るを。同くは、其れ畢て、云はむ事に随はむ」と。



法師の云く、「其れに増たる功徳を造らせ奉らむ」と云へども、女、「憑たりつる人は、此く目前に無く成ぬれば、今は身を任せ奉るべき身なれば、辞ぶべきに非ず。更に怱ぎ給ふべからず」と云て、親くも成さねば、法師、「現に然も有る事也」と云て、内に入ぬ。



女の思はく、「然りとも、我が男は、世も無下の死には為じ物を」と思ふに、板敷の下にして此れを聞くに、妬く悲し。



此の妻の居たる前の程に、板敷に大なる穴有けり。



其れを見付て、木の端を以て、穴より指上たるを、妻、見付て、「然はこそ」と思て、其の木を引き動したれば、「心得てけり」と思ふに、此の法師、度々来て語ふと云へども、女、とかく云ひつつ聞かねば、亦入ぬ。



其の時に、女、和ら蔀を放ければ、板敷の下より出でて入来て、先づ互に泣く事限無し。



「死ぬとも共に死なむ」と思て、「太刀は何がしつる」と問へば、「引出されし程に、畳の下に指入たり」とて取出したれば、男、喜て、衣一つ許着せて、太刀を持て、北面の居たる方に和ら行て臨けば、長地火炉に俎共七八つ立てて、万の食物置き散して、男共有り。



弓・胡録・甲・冑・刀・釼、立並たり。



法師は、前に台一双に、銀の器共に物食散して、脇足に押し係て、打ち低きて居乍ら、□□をして寝たり。



其の時に、此の人、思はく、「長谷の観音、我を助け給て、父母に今一度値はせ給へ」と念じて、「此の法師の、思係けずして寝たるを、走り寄て頸切て共に死なむ。何にも、我れ遁るべき様無し」と思ひ得て、和ら寄て、低たる頸を差し宛てて、強く打たれば、「耶々」とて、手を棒て迷ふに、次けて打ければ死けり。



其の程、前なる男共、其の員有りと云へども、実に観音の助け給ひければ、多の人、忽に入来て、「此の法師を殺しつるぞ」と思えけるに、亦、心に非ず皆此の如くして取られたりける者共なれば、「手迎へせむ」と思はず。



況や、主と有つる者は死ぬ。



今は甲斐無くて、各口々に、「己等は過したる事候はず。然々の人の従者にて有しを、此の如くして意はずに侍る也」と云へば、然るべき所に追ひ籠て、人数有る様に翔ひ成して、夜の曙を待つ程、極て心もとなし。



適ま曙ぬれば、郎等共召出して見るに、夢の心地しつつ、目押摺りなむどして、酔ひ醒して出来たり。



此くと聞てぞ、酔も悟ける。



彼の脇戸を開て、行て見れば、深き穴の底に、竹の鋭杭を隙無く立てて、其れに貫かるる者、旧き新き多かり。



夜前の金尾丸は、長高き童の痩たるが、賤しき布衣一を着て、平足駄を履き乍ら貫かれて、未だ死も畢てで動く。



「地獄と云ふ所も此くや有らむ」と見て、夜前、此の家に有し男共を召し出せば、皆出来て、年来意はぬ事共を申し合たり。



然れば、咎を行はず。



使を上て、京に此の由を申したれば、公、聞し召して、「賢き態したり」と感ぜさせ給けり。



京に上て、官給はりて、思ふ様にてなむ、此の妻と住てなむ有ける。



何に泣見咲ひ見、有し事共云けむ。



盗人法師は、其の縁と云ふ人も聞こえで止にけり。



心ばせ賢く、思量有る人は、此る態をなむしける。



但し、人、此れを聞て、知らざらむ所へ危く行くべからず。



亦、此れ偏に観音の御助也。



観音の「人を殺さむ」とは思食さねども、多の人を殺せるを「悪し」と思食しけるにや。



然れば、「悪人を殺すは菩薩の行也」となむ語り伝へたるとや。