今昔、下野の守中原の惟孝と云ふ者有けり。



任国に下て国を治て、一任既に畢て上ける時に、駿河の国に□尻*と云ふ渡有り。


* 底本頭注「尻ノ上江トアルベシ」
其れは、□□河*と云ふ大河の、海に流れ出たる尻也。


* 底本頭注「河ノ上安部トアルベシ」
其れが湊の浪に打塞がれて、堤の様に成たりけるに、惟孝、其にて渡ける間に、前前も人皆渡る道なれば、惟孝が郎等、字源二、其の堤の様なる上より渡るに、俄に上より、水押し崩す。



然れば、源二、水に押されて、馬に乗り乍ら水に入ぬるに、やがて塩に引かれて海の息に出ぬ。



遥に引かれて、伊豆の国顔が崎と云ふ所の息まで出にけり。



乗たる馬は源二を離れて、游て上にたり。



陸なる人々は、守より始めて「彼れは彼れは」と喤り合たれども更に甲斐無し。



鳥の程に見えけるが、後には見えず成にけり。



落入ける時、巳の時許なりけるが、日も漸く暮ぬ。



然りとて、有るべき事ならねば、守より始て皆人々、船より渡て、此方に宿しぬ。



源二は海にして胡録を枕にして、沈まずして、仰け様に臥たりけるに、「枕上に人の居たる」と思えけり。



東西も思えず、只夢の様にて漂よひ行ける程に、忽に二尋許の柱の様なる木、寄り合にけり。



其れに係り有る程に、塩も漸く返り、夜も漸く曙ぬ。



而る間、此の枕上に有つる人は失ぬ。



返る塩に引かれて、陸の方へ漸く行くに、陸なる人々、夜曙て息の方を見遣れば、昨日は見えざりしに、水の上に遥に遠く小き物見ゆ。



遠ければ、何物とも見えぬ程に、風の少し息の方より吹くに、近く吹き寄するを、陸なる人々、「彼れは人か」など喤り合へれども、船無ければ、乗て行ても見えぬに、無下に近く寄ぬ。



「源二也けり」と見て、馬の差縄を結て投遣たれば、其れを捕へて、絡り付て上り来る。



此れを見る人、奇異なる事限無し。



中々に上て後、死入たるを、口に水を入て、火に炮などして、生出たるに、海の間ひだの事共を語けり。



髻に小き観音をぞ付奉ける。



「枕の上なりつる人は、然は、此の観音の在しける」と思ふに、貴く悲き事限無し。



此の源二は月毎の十八日、持斎して観音をぞ念じ奉ける。



亦、為る勤無かりけり。



我れ、偏に観音の助けに依て命を生ぬる事を、泣々く喜て、五体を地に投て、涙を流して悲びけり。



其より京に上て、忽に小寺を造て、此の観音を安置して、朝暮に礼拝し奉けりとなむ語り伝へたるとや。