長谷に参て、観音の御前に向て、申して云く、「我れ、身貧くして一塵の便無し。若し、此の世に此くて止むべくば、此の御前にして干死に死なむ。若し、自然ら少の便をも与へ給ふべくは、其の由を夢に示し給へ。然らざらむ限りは、更に罷り出でじ」と云て、低し臥たり。
寺の僧共、此れを見て、「此れは何なる者の此ては候ふぞ。見れば、物食ふ所有とも見えず。若し、絶入なば、寺に穢出来なむとす。誰を師とは為ぞ」と問へば、男の云く、「我れ、貧き身也。誰*を師とせむ。只、観音を憑奉て有る也。更に物食ふ所無し」と。
* 底本「唯」。誤植とみて訂正。
寺の僧共、此れを聞て、集て云く、「此の人、偏に観音を恐喝奉て、更に寄る所無し。寺の為に大事出来なむとす。然れば、集て此の人を養はむ」と定て、替々る物を食すれば、其れを食て、仏の御前へを去らずして、昼夜に念じ入て居たるに、三七日にも成ぬ。
其の曙ぬる夜の夢に、御帳の内より僧出でて、此の男に告て、宣はく、「汝が前世の罪報をば知らずして、強に責め申す事、極て当らず。然れども、汝を哀ぶが故に、少しの事を授けむ。然れば、寺を出むに、何物也と云ふとも、只手に当らむ物を棄てずして、汝が給はる物を知るべし」と宣ふと見て、夢覚めぬ。
而る間、䗈*、顔の廻に翔ぶを、煩しければ、木の枝を折て掃ひ去れども、尚同じ様に来れば、䗈を手に捕へて、腰を此の藁筋を以て引き括りて持たるに、䗈、腰を括られて飛び迷ふ。
* 底本頭注「䗈諸本蝄ニ作ル今宇治拾遺等ニヨリテ訂ス」
男の云く、「此れは観音の給たる物なれども、此く召せば、奉らむ」と云て渡たれば、「糸哀れに奉たり」とて、「喉乾くらむ。此れ食よ」とて、大柑子三つを馥しき陸奥国紙に裹みて、車より取せたれば、給はりて、「藁筋一つが大柑子三つに成ぬる事」と思て、木の枝に結ひ付て、肩に打係て行く程に、品賤しからぬ人、忍て侍など具して、歩より長谷へ参る有り。
其の時に、主人は極じて寝入たるに、人寄て、驚かして、「此なる男この柑子を持たるを奉れる也」と云て、柑子三つを奉れば、主人の云く、「我は喉乾て、既に絶入たりけるにこそ有けれ」と云て、柑子を食て、「此の柑子無からましかば、旅の空にて絶入り畢まし。極て喜しき事也。其の男は何こに有ぞ」と問へば、「此に候」と答ふ。
主人、此の男に云く、清き布、三段取出して、給て云く、「此の柑子の喜しさは云ひ尽すべくも無けれども、此る旅にては何にかはせむと為る。只、此れは志の初め許を見する也。京には其々になむ有る。必ず参れ」とて、其の所を去ぬ。
答て云く、「此れは、陸奥国より此れを財にて上り給へるに、万の人欲がりて、『直も限らず買はむ』と云つれども、惜むで持ち給へりつる程に、其の直、一疋をだに取らずして止ぬ。『皮をだに剥ばや』と思へども、『剥ても旅にては何にかはせむ』と思て、守り立てる也」と。
此の男の云く、「『実に極き馬かな』と見つる程に、此く死ぬれば、命有る者は奇異也。皮剥ても、忽まちに干得難かりなむ。己は此の辺に住めば、皮を剥ぎて仕ふべき事の有る也。己れに得させて、返り給ひね」と云て、此の布□□めを□□*はせたれば、男、「思はぬに所得したり」と思て、「思ひ返す事もや有る」と思へば、布を取て、逃るが如くして走去ぬ。
* 底本頭注「布ノ下宇治拾遺一ムラ取ラセタレバトアリ」
此の死たる馬買う男の思はく、「我れ、観音の示現に依て、藁筋一つを取て、柑子三に成ぬ。柑子、亦布三段に成ぬ。此の馬は、仮に*死て、生返て、我が馬と成て、布三段が此の馬に成むずるにや」と思て、買なるべし。
* 底本頭注「仮一本俄ニ作ル」
「若し、人もぞ来る」と思て、漸く隠たる方に引入れて、時替まで息ませて、本の様に成ぬれば、人の家に引入て、布一段を以て、賤の鞍に替へて、此れに乗て、京の方に上るに、宇治の程にて日暮ぬれば、人の家に留て、今一段を以て馬草・我が粮に成して、曙ぬれば京へ上るに、九条渡なる人の家を見るに、物へ行むずる様に出立ち騒ぐ。
男の思はく、「此の馬を京に将行らむと、若し、見知たる人も有て、盗たると云はれむも由無し。然れば、此にて売らむ。出立する所には、馬要する物ぞかし」と思て、馬より下て、寄て、「馬や買ふ」と問ければ、馬を求る間にて、此の馬を見るに、実に吉き馬にて有れば、喜て云く、「只今、絹・布などは無きを、此の南の田居に有る田と、米少とには替てむや」と。