今昔、無縁也ける小僧の常に清水に参る有けり。



法花経をぞ暗に思えて誦ける。



其の音、甚だ貴し。



此く常に清水に参て申ける様は、「我れに少の便給へ」とぞ、懃ろに願ける。



例の如く清水に参て、御前にして経を読み居たるに、糸清気なる若き女、傍に有り。



然るべき人の娘などとは見えねども、共の女童部など、有べかしくして具したり。



此の女、僧に云く、「此くて見れば、常に参り給ふを貴しと思ふに、何こに御する人ぞ」と。



僧の云く、「指る住所も無くて、迷ひ行く法師也」と。



女の云く、「京に御するか」と。



僧の云く、「京には知たる人だに無し。此の東渡になむ候ふ」と。



女の云く、「日暮ぬれば、今夜は返り給はじ。亦、物など食ふ所ろ無くば、我が家に御しなむや。此の近き所也」と。



僧、日暮ぬれば、行き宿るべき所も無し。



糸喜く候ふ事也」と云て行ぬ。



清水の下の方に、糸清気に造たる小き家也。



入て、客居と思しき所に居たれば、程無く食物を糸清気にして取出たり。



心悪*き事限無し。


* 「にく」底本異体字。りっしんべんに惡
僧、「此る所を儲つる、喜き事也」と思て、其の夜留て、経を読居たり。



此の如く度々行ぬる程に、此の女を見るに、夫有りとも見えず。



此の僧、未だ女にも触れざりける僧也けれども、夜る留たる間に、此く懃に当れば、「此れ、観音の給たる也けり」と思て、「此れ、妻にしてむ」と思うて、夜る窃に這寄たるに、女、「『貴き人か』とこそ思つるに、此く御ける」など云て、辞る事も無ければ、遂に近付にけり。



其の後、日来を触る程に、見れば器量き魚物の饗膳を調て、外より持来たり。



僧、「此れは何ぞ」と問へば、「人の奉れる也」と云ふ。



吉く聞けば、早う、此の家は乞食の首にて有ける者の娘也けり。



其れに、伴の乞食の、主と云ふ事しける、送物を持来たる也けり。



聟の僧も交らふまじかりければ、其れも乞食に成てぞ、楽くて有ける。



「観音の霊験不思議也」とは云ひ乍ら、何ぞ乞食には成させ給ひけむ。



其れも、強に、「便を給へ」と申けるに、此の故に非ずして、便を給ふべき様こそは無かりけめ。



亦、前世の宿報の致す所にや有らむ。



此れを、人、知る事無かりけりとなむ、語り伝へたるとや。